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「こころ豊かに生きる」へと続いた道

1.はじめまして

61歳男性です。目の前に続く道を歩いていたら、身体から湧きあがる言葉と出会いました・・・・それが<こころ豊かに生きる>です。

20年間師事していた故野田風雪先生(仏教談話会主宰・浄土真宗僧侶)の言葉をセンターラインとしてきた私。がんになって入会した患者会の代表となり10年、病院薬剤師退職後に新団体を設立して二年が経った今、noteを始めることにしました。

がんのお陰で僧籍を取り、西本願寺が設立した緩和ケア病棟を僧侶として歩いた経験は、それまでなかった世界観を持つ未来へと私を運んでくれました。

まだまだ不慣れなnoteではありますが、どこか皆さまの心に留まるものがあれば幸いです。

がん患者グループゆずりは代表、医療と暮らしを考える会理事長


2.14年前の待合室

2007年12月。もう随分と昔の事ですが・・・上腹部に違和感を感じて受診し、当初「おそらくは逆流性食道炎でしょうね」と言われました。でも、なぜだか次々に検査を受けるよう指示を受け、数日後に一連の検査結果を聞くために診察を待っていた私。大勢の患者さんと共に待合室のベンチで一人過ごす時間は思った以上に長いものでした。

「私の番号を呼ばれるのは次かな?」とか「この横にある扉を開いて診察室に入り、次に出てきた時、私は何を思っているのだろう?」・・・など思いつつも、ベンチに腰かけた身体は前のめりで視線は常に足元の床。足早に行き交うのは「知り合いの看護師だ」と分かるものの、顔を上げて声をかけることも出来ず、何かに耐えるように自分の順番を待っていました。

「妻に一緒に来てもらったらよかったなぁ~」という気持ちも湧きあがり、落ち着かない膝を両手で抑えた時に番号が呼ばれました。「結果を聞かなければ次に進まない。さぁ!」・・・と立ち上がり、ゴクリと一度唾を飲み込んだ後に診察室の扉の引手をつかみに行った<自分の右手>・・・そのシーンは今でもハッキリと覚えています。

3.胃がん告知 ~景色が変わった~

「悪性ですね」・・・顔見知りの内科医から様々な説明を受けましたが、自分の現実として聞いていません。大人として、薬剤師として冷静を保とうとしていたのかもしれませんが、眼の前で話してくれる医師の言葉が身体をすり抜けていく・・・そんな風に感じていた自分がいました。

その日は有給休暇を取っていたので薬剤部に戻ることなく、診察後は自宅に向かったのですが、25年も使っている駅から自宅までの見慣れた景色がどこか違っていました。いや、違って感じられたのです。住み始めて25年、遠くの山並みと小さな川、桜の木で作られる景色、そして近所の家並みを含め、<街からの視線>がよそよそしいのです。    

 「何なのだ? ずっと続いていくお前たちの存在は!」

そんな言葉をつぶやくと同時に、駅に向かう人、買い物に行く人、通学する小学生・・・そんないつもと変わらない風景をみながら湧きあがってきたのは、この風景から「自分だけがいなくなるかもしれない」という感覚。街という生命体には何の影響もなく、ここで暮らしていた一人の男がいなくなる、ただそれだけの事・・・そんな現実を痛感しながら家に向かいました。

いくら祈っても、どれほど願ってみても風景が一瞬で変わってしまう現実は時に容赦なくやってくる。「人の手では間に合わない世界で私達は生きているのだ」という感覚は、阪神淡路大震災で味わったものと同じでした。

次回は、「このまま亡くなった時に自分が思い残すことは何か?」・・・・その問い対して出した私の答えを書きます。


#がん #こころ #がん告知 #僧侶 #薬剤師 #生き方

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