見出し画像

不条理に憧れた10代の心を鷲掴みにした映画 '勝手にしやがれ’ (英題:Breathless 仏題: À bout de souffle)'

私にとって学校はあまり居心地の良い場所では無かった。浮いちゃってたんだなぁ。休みがちだったと思う。地方だったため、テレビはNHKと民法のチャンネル合わせて3つしか無かった(ちょっとうる覚え)。なので学校にも行かず、レンタルビデオ屋で借りたビデオを一日に何本も観た、10代の私。そんな時この映画に出会った。内容はちっとも頭に入ってこず、ただベルモンドとセバーグのかっこよさが強烈に頭に残った。わけの分からないものにとても惹かれちゃうのは、当時から一本筋が通ってる。

その後東京で暮らし始め、この映画に再会する。ここは60年代のパリではないけど、渋谷・原宿のあるおしゃれな街、東京。当時パリという世界で一番インな街で外国人として住んでいる主人公に、自分を重ね合わせたりして。
誰も知らない都会に身を置く自由さと孤独。私は世間の目を気にせず自分の好きなファッションや音楽を追いかけることが出来た。狭い田舎町の生活は親、親戚や先生から要求される様々なことがとても辛かった。だって自分を表現しようとするとすぐ、出る杭は打たれる。10代の、鬱屈した心はこの不条理極まりへの不満だったのだろう。

改めてこの度、映画をみてもやっぱり意味わかんない。

「あ、そうかぁ。だからヌーベルバーグ。」

今更ながら納得。頭を使って観るなってって事。五感を使って観る映画なんだわ。意味なんて何もないのだ。そこに写っている物の美しさや、言葉で表せない物を感じ取る。感性で見る映画なのね、って。40年かかったわ、これに気付いたの。

すごく仏教的だと思わない? 存在に理由はない。あるがままを観る。

異次元の映画、かな。何処かの国の首相の言い方を借りれば。

おまけ
原題のA bout de souffle  
英題はBreathless
息も絶え絶え、息切れと訳されているみたいだけど、私はどちらかといえば「崖っぷち」切羽詰まってる緊迫感と、訳したい。

因みに邦題の「勝手にしやがれ」はこういう事らしい。

秦早穂子氏
勝手にしやがれ」というタイトルは私自身の気持ちの吐露です。あのころの若者は怒っていた。私も怒っていた。若いくせにパリで映画の選択なんて、とやっかまれながらも、現状は屈辱にまみれていた。映画人の地位も低かった。若い私はかたくなに怒っていた。同時にそういう自分を冷静に見てもいた。いつ首を切られても、失うものは何もない。「勝手にしやがれ」と。劇場側が「下品だ」と改題を要求してきましたが「これは若い人の叫びなんです」と突っぱねました。

日本経済新聞におけるインタビュー「人間発見」の『「勝手にしやがれ」の怒り』連載第一回(2012年1月23日付 夕刊)

#映画にまつわる思い出

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集