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愛する母へ、産んでくれてありがとう

母は私に、
「若い頃は私もなおみたいだった」
とよく言います。

きっと私と同じ22歳の、社会に出たばかりの頃には大きな夢があったのだろう。若い頃からアクティブで、天才肌で、センスがあって、冒険心が強くて、芯が真っ直ぐで、根性があって、よく笑って、優しくて、美しくて、強くて、、きっと私よりもすごい才能があったんだろう。

家庭の事情でやりたいことを「やりたい」とすらも言えなかったのかもしれないし、社会の幸せレール(結婚)に乗っただけかもしれないし、結婚して兄や私を産んで母親になったことで、いくつかの夢を諦めざるを得なかったかもしれないし。

具体的なことは聞いたことがないが。

「母は昔どんな世界を見ていたのだろう」
と、この歳になってようやく考えています。


でも母がその時、「結婚する」「母親になる」という道を選んでくれたから、今私という人間が生きています。

母がどれだけ辛くても忙しくても、涙を流しながらも、投げ出さずに私と正面から向き合って影で支えてくれたから、今私はこんなにも幸せに生きています。

私のために、これまでたくさんの我慢をありがとう。本当に本当にありがとう。

もし、
母になる道を選んだことでまだやり残したことがあれば、一緒にこれから叶えましょう。(ちなみに私は母の体力があるうちに一緒にスキューバダイビングしたりスカイダイビングがしたい!)


私は今まで母に何も不自由なく育ててもらった。なのに、ずっと恩知らずな子供だったよね。


私の家庭は両親が共働きで、保育園の頃みんなが帰った後も校舎に残って母の迎えを遅くまで待つ毎日で。いつも他の子は迎えが早く来て、「羨ましい」と思ってた。

小学校低学年の頃は友達の家に遊びに行くたびに、手作りのおしゃれなおやつを出して迎えてくれる優しい母親と比べてた。「なんで帰っても誰もいないのか」「なんで私の家にはおやつがないのか」と思ってた。

お弁当の日は、母の作る彩りのない茶色のお弁当を友達に見られるのが恥ずかしいと思ってた。友達のお弁当はキャラ弁や緑黄色豊かな可愛いお弁当だったから。一度お弁当が焼きそばだった日は本当に泣きそうだったなあ。


今になって振り返ると、

小学生の頃、家に帰って誰もいなくても私には友達や兄という存在があって寂しい思いをしたことはない。

近くに住む祖父母の家に行けば「おやつ買いに行ってこい」とお小遣いがもらえた。

お弁当の見た目は好きじゃなかったけど、冷凍食品が少なくて、大好きなコーンがたっぷり入った母の愛情弁当は、慣れ親しんだ大好きな味で、とっても美味しかった。

当時はなんて小さくて浅はかでどうでも良い事を母のせいにして悩んでいたのかと、本当に自分が恥ずかしいです。我ながら情けない。


そんなことにも気づけず私の親不孝な生活は大学まで続いた。。

中学の頃は兄という、母の天才肌を受け継いだ彼の才能に嫉妬して心がいつも荒れ、高校では部活が辛くて辛くて辞めたい気持ちやストレスを毎日母にぶつけてた。大学ではやりたいことをたくさんやりすぎて(一人で世界中飛び回って)たくさん迷惑と心配をかけたね。

私は恥ずかしいことに母の存在を当たり前に思いすぎて、何も感じないまま本当に好き勝手に人生を送らせてもらっていたんです。

ニュースで日本の深刻な相対的貧困家庭の実態を見ながらも、世界中を旅して母親がいることが当たり前ではないと感じながらも、どこか他人事で私に母がいることが当たり前だった。


また、
社会人になって初めて、母がいかに人間として素晴らしいかが、染みるほどわかってきた。

今の私と同じ22歳?そこそこで妊娠、年子で二人を出産し、子育てで自分の時間がなくなるのに加えて、家事に、仕事に、お金のこと、将来のこと、日々の生活のこと、、色んなことを考えないといけなかったのだと、自分だけの時間なんて数十年全くなかったのだと、改めて想像するだけで涙が出る。同時に私の今までの視野の狭さが恥ずかしくなる。

全然理解できず協力もできずに、反抗してばかりで本当にどうしようもない娘でした。ごめんなさい。

仕事や家庭の辛いことも全て投げ出して自分一人になりたくなることもたくさんあっただろうに、どんなに忙しくてもストレスでも子供にすら嫌味を言われても、母として責任を持って、今日までこうして私の母を、家族を、続けてくれたこと、本当に感謝しています。


こんな恩知らずでも、
小さい頃から尊敬していた母の姿があります。

それは母がいつも「自分」を持っていたことです。

パッとしない地味な母親たちに比べ、自分に似合う服を知り、派手でおしゃれなスーツを着て授業参観に来る母は、みんなから「なおのママ可愛い」と言われ、私の自慢だった。

「同級生ママさんコミュニティ」に属さず常に一人で、普段から愚痴や不満を口に出さない、いつも笑顔で微笑んでいる、そんな強い母がとても好きだった。

今でも、
山に登ったりヨガをしたり服を作ったりサウナに行ったりカフェしたり、楽しそうに休みの日を満喫して、服装には個性を爆発させて、好きなこと、新しいことにどんどん挑戦して生活に取り入れていく母の姿は、昔と変わらない私の大好きな「自分」を持っている母。

そして、私の永遠の憧れ。

今、一人になって不安が大きくなったり自信がなくなったり、弱気になることがあっても、母の笑顔を浮かべるといつも強くなれる。母がこれまで周りに同化しないで、我が道を歩いている姿を見てきたことが、確実に私の自信と勇気に繋がってる。

私も母みたく、自信を持って堂々と自分という人間を表現できる人間になりたい。

そんな強い母の姿をずっと見てきたから、社会という大波に流されることなく、今でも「自分」の軸をまっすぐ持てるのだと思う。

母の娘に生まれてこれた私は世界一の幸せ者です。

産んでくれて、
育ててくれて、
なおの母親になってくれて本当にありがとう。

これからも長い人生一緒に楽しもうね。

世界一愛してるよ。

なおより

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