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DXにかんする私見<その2>

前回の「DXに関する私見<その1>」では、DXのそもそも論と類似事象としてのBPRの取り組みに言及した。そしてBPRがほとんど成功しなかった、あるいは取り組まれなかった事について、その理由について私見を述べた。ドン・タプスコットが述べたように、全米でも企業の70%がBPRできなかった。

1.変えることへの抵抗感(慣性の法則)、2.イレギュラー業務の多さ、3.BPR効果の消失(パーキンソンの法則)、4.コスト先行性・効果不確実性、である。様々なところからBPRが進まない原因についての分析が提出されている。

今回は、DXに焦点を当ててみたい。「DX」という言葉は枚挙にいとまがないほどはあちらこちらで使われているが、デジタル化や新しいIT技術の適用という域を出ていないとみています。DXとは、いわゆるイノベーションが前提になければならないはず。しかし、「どこがイノベーションなんですか」と訊きたくなる事例ばかりが取り上げられているように思えてならない。いや、「イノベーション」という言葉自体も、バズワード化しており異なった理解の下に使われているようだ。

「イノベーション」を最初に提唱したのは、ご存じのようにオーストリア出身のシュンペーターである。「現状の均衡を、創造的に破壊し、新たな経済発展を導く」ということ。1958年の『経済白書』において、イノベーションが「技術革新」と翻訳紹介され、日本においてはこの認識が定着している。1958年は日本経済が発展途上であり、新技術の発見と技術の革新、あるいは技術の改良が死活的であり重要な時代だった。更に、クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』(2001年)が刊行されたとき、副題に「技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」と付けられており、あちらこちらで”イノベーション=技術革新”という理解が定着してしまったのではないだろうか。

シュンペーターが「10キロのスピードが出る機関車を10台つないだからと言って100キロのスピードが出せるようになるはずはない」と述べているように、イノベーションには今までとは全く違ったことがおこらなければならない、ということが前提なのだ。

技術革新は日本企業のお得意分野だ。それが高度経済成長を支えたことは間違いない。現在でも、気候変動という世界的な課題に対して、日本企業は目を引く新たな技術を研究し、実装している。トヨタの水素エンジンやゴミのリサイクル技術など、まさに技術革新は日本企業の得意中の得意だ。

ただし、気をつけなければならないことがある。iPhoneが発表されたとき、日本企業は「全ての要素技術は日本が持っている」と胸を張った。この人たちはまるで分かっていないと感じた。iPhoneに特別新しい技術は使用されていない。ただ、既存技術の組み合わせで、スマートフォンという多くのユーザーが喜んで手にしたがるモノを造り、画面の縮小拡大も全てを指で操作するという人々の行動まで影響を与えてしまった。遂にはガラ携市場もほぼ駆逐してしまった。これがまさにイノベーションであって、CPUが高速化した、電気消費を⒈/2にした、という個々の技術革新がイノベーションであるわけではない。誰もそれらの技術を単体で購入し、それで行為にまで影響を与えたり、幸せを感じるわけではないのだ。

「抜本的な変革」やイノベーションはどこから産み出されるのか

1980年代に再興に成功した米国の企業が行ったのは、「事業の選択と集中」「グローバリゼーション」そして「ガバナンス構造の変革ー外部からCEOを登用」であった。米国製造業にとって国際的な競争力の低下は、経営者の危機意識となり「事業の選択と集中」そして「グローバリゼーション」へと向かわせた。そのいくつかの企業では、まさにカルロス・ゴーン氏が日産のトップになったように、「ガバナンス構造の変革ー外部からCEOを登用」を実施し、組織及びプロセスの大変革が行われた。つまり、「抜本的で破壊的な変革」は、外部環境から提起されるということである。

もっとも良い例は、自動車産業であろう。2018年の1月にラスベガスで開かれた、エレクトロニクスや家電などを中心とした先進技術の見本市「CES(コンシューマエレクトロニクスショー)」で、トヨタ自動車の豊田章男社長は、MaaS(マース)専用次世代電気自動車「e-Palette Concept」を発表した。

それは、「移動サービス」のプラットフォームである。このプラットフォームを、タクシー会社や物流会社、あるいは小売業などがサービスを展開するのに活用する。そしてそのプラットフォーム運営をトヨタ自動車が担うという構造である。下図にあるように、背景には環境の変化のなかで、どのようにして生き残りをかけ競争優位を確立するかという経営課題に対して、提案された変革課題が「MaaS」である。

最もネットワーク技術に縁が薄いとされていた自動車産業が、IoTを屈指したサービスの中心になろうとしいるわけだ。これは、何か事業を付け加えるという単純なプロセス追加作業ではない。EV(電気自動車)化を考えて見ればわかる。部品やその点数は大幅にシンプルになると同時に参入障壁も低くなる。競合の変化からサプライヤーの変更、製造ラインのワーカの教育などなど、多様な変革が求められるのは容易に理解される。同時にセンサーなどを利用した安全装置やその通信技術などなど、さらにスマートシティや他の輸送手段との連携を考えれば、とてつもないビジネス変革になるだろう。

このように「抜本的で破壊的」変革は、外部環境から提起されるものだ。

イノベーターシップ=知的バーバリアン

まずは、多く企業で「ひと」の問題でつまずくのではないだろうか?「抜本的な変革」は、その課題の「発見力」が先ず以て必要だ。「1000曲をポケットに入れて持ち歩き聞きたいときに聞ける」、これはソニーのウォークマンがヒントではあるが、この潜在的「wants」を市場が既に持っているのか、無理だ思い持つこともなかったの、その潜在的「wants」発見し、形にしたのがiPodだ。そしてiPodのCMを見て誰もが楽しい気分のになって「あのように街を踊り歩いてみたい」と洗脳した。

この「発見」を上司や経営層に提起する勇気のある人はいるのだろうか。「空気」を読んで、ひっそりと、叱られる、あるいは失敗したらどうしようと「リスク回避」をするのが常の日本企業の社員。「根回し」をするのが作法の日本企業。イノベーションを基本的にオーナー社長から、あるいは外国人であり外から来たカルロス・ゴーンのようなリーダーからしか大変革は実施できないのは、それらに問題があるといわざるを得ない。

僕は最近思うことがある。ビジネスをしていたときは、「マネジメント」や「マーケティング」の本はたくさん読んだ。でも、本当に重要なのは山本七平、松下正剛、山岸俊男、その他社会学や人類学まで学ばなければ、日本人たる者が分からない、なぜ日本企業はこうなっているのか、が分からない、と。

一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏によると、必要な人材とは「知的バーバリアン」であり、それが「知的コンバット」をすること。共感を媒介にした、主観同士の真剣勝負でのぶつかり合いの中から、客観性が生まれる。イノベーションはそこからしか生まれない。そうしたぶつかり合いのことを「知的コンバット」と呼んでいる。

参考になるのではないかと思われる事例がある。大河ドラマ『青天を衝け』の中で、渋沢栄一が新政府に出仕して最初にやったこと、そう「改正掛」を新設して国を治めるために何が必要かを列挙し、プライオリティを決めて分析し、指針を出し、実行するシーンがある。確か、31話だったか。その一つとして廃藩置県と同時に統一貨幣を流通させるが、これが「変革」でありそこに情報技術を適用して初めてできることがあったならそれがDXと言っても良い。

渋沢栄一は、大隈重信大蔵卿が全国から「八百万の神」を集めなければ新政権は稼働しないとして呼び出した旧幕臣であることに注意して欲しい。薩摩藩や長州藩から登用された人材では無かった。渋沢栄一および渋沢が出仕を進めた旧幕臣は、「幕臣でないとできなかっただろうと敬服させてやるんだ」と意気込む、欧米渡航経験者つまり知的バーバリアンだった。つまり内部の「檻」に縛られず、無謀とも思えるチャレンジをし、その「モチベーションやパッションの高い」人材と言い換えることができる。

これがイノベーションシップ人材のコアである。しかも、「改正掛」とは民部省横断の組織であり大きな権限を持たされた。改革が成功するかどうかは未経験であり大きなリスクだ。しかし、これら知的バーバリアンが喧々諤々討議し、共感を育てて実行していく。まさに、知的コンバットであった。

おそらく製造業優位社会で学んできた完璧な者を安く造るというマインドではこのリスクのあるイノベーションには立ち向かえない。「とにかくやってみる」というマインドが必要だ。そしてイノベーションは一過性のものではなく持続可能でなければならない。注意深くPDCAを回しながらメンテナンスすることも必要となる。

グランドデザインとその実現性

経営課題として提起された大変革のステージの青写真が描かれ、変革のステージやフェーズ分け、最適なIT及びIoTを選定し活用するステップ、それらのコストの最適化、必要な人材を定義し選定、などなどそのグランドデザインが何にもまして必要になる。もちろん一度に完璧なグランドデザインを仕上げるのは、容易ではないかもしれない。そこからステージやフェーズごとにテーマごとにプライオリティを定義し、後回しにされたテーマをリマインダーに入れ、「DX実装チーム会議」で絶えず注意喚起し見直しをかけることが肝心。この作業をきちんと実行しないと、DXやBPRの「抜本的で破壊的な変革」はできるわけがない。

前回記述したBPR時代を見れば、プロジェクトのスコープが定まらないとか、実施が難しいなど、「グランドデザイン」に問題があったかグランドデザイン自体がなかったことは明らかだ。さらに言えば、「グラウンドデザイン」の実現性に問題があったとも言える。

このグランドデザインは、業界や業種に適用されるモデルが提示される必要がある。今後ベストプラクティスとして、随時提案されるであろうと思われるが、抽象化されたモデルがあるべきだろう。

この「グラウンドデザイン」の実現性には、経営資源の基礎である「ひと・もの・かね」という側面がある。
ひと=「抜本的で破壊的」な変革を推進できる人材
もの=「抜本的で破壊的」な変革を実現する道具(ITやIoT、そのアプリケーション)
かね=「抜本的で破壊的」な変革を実装する予算
これらを熟慮した上でプライオリティのついた実行計画が出来上がる。この営みがBPR、DXプロジェクトの成否の80%以上を決めると言っても過言ではない。

知識創造グループ設置のすすめ

DXに焦点を絞ってみよう。僕が嘗て訪れたオランダのシェル本社には、日夜世界のIT戦略を立案し、IT部門のメンバーを評価するマトリックス造っている30名ほどの組織がある。構成しているメンバーはほぼXX博士号保有者達だ。シェルはまさにロジスティックがメインの役割で数学博士が何にもいる。

彼らは、世界的なIT産業アナリストやコンサルタントと必要に応じて対話しており、どの技術がどう適用できるのか、今まで不可能だったことをどう実現できるかなど、グループで検討し実装プランを作成してる。行ってみれば知識創造グループといえる。

もちろん最新の技術を適用するだけではDXとは呼べない。しかし、技術を深く認識すればそれがどんな不可能を可能にするかが技術の側からみえてくる。スマートフォン、インターネット、で顧客に直接リーチできるし、ビッグデータも使えるようになった。そしてAIによって様々な事が自動化できるようになった。それらをどう活用するかは、「発見力」にかかっている。

「空気」を打ち壊し、知的バーバリアンになってチャレンジする。そして知的コンバットを知識創造グループの中で実施する。そして、「とにかくやってみる」事を経営層が許容し、リスクを恐れない。この様な営みが必要である。

とはいえ………

ここまで来てこんなことを言うのは誠に申し訳ないが、日本企業にDXができるとは思えないというのが本音だ。願うことは、「DX……」という枕詞に惑わされず、経営がやらなければならないことをやるだけだと思う。当分「DX……」は、水戸黄門の印籠のごとくに使われるだろう。ひるむ必要はない。

各企業はまず外で何が起こっているのかを注意深く知ることが肝要だ。SANYOのように国内競争で「良い機能を安く提供する」競争に終始し、ハイアールやサムソンが世界的な戦いで成長してきていることが全く目に入らず、「ジャパンアズナンバーワン」だと奢った経営を継続し、最後は退場した。過去の成功要因が未来を破壊する要因になる。

少なくとも日本市場は人口が減少し、内需はシュリンクしている。市場だけでなく生産年齢人口もそうだ。我々は多くのモノを所有しており、中古品をメルカリやフリマを通じて売買する時代であり、多くの商品はコモディティ化している。自動車産業を見れば分かるように、新車を海外で最初に発表することも増加している。免許を取る若者も減少しているからだろう。

なによりも顧客を観察し、外部環境を観察し、問題を発見することが何にもまして大事なことだ。「井の中の蛙」「ゆでガエル」になることだけは避けねばならない。そして上記で述べた知識創造グループを育てる、人材を教育する、経営層もしっかりと科学的知識を積み上げる、プロを採用する、といったことを抜かりなく進めることが肝要だ。そして「思い切ってやってみる」文化を育てて欲しい。

なにごとも適切な人材を抜きにしてできることなど何もないと強調しておきたい。


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