元IT産業アナリストあの若井さん?

IT産業での経験や13年にわたる海外生活の経験を生かして、様々な社会問題に私見を寄せた…

元IT産業アナリストあの若井さん?

IT産業での経験や13年にわたる海外生活の経験を生かして、様々な社会問題に私見を寄せたいと思います。m(__)m

最近の記事

DXにかんする私見<その2>

前回の「DXに関する私見<その1>」では、DXのそもそも論と類似事象としてのBPRの取り組みに言及した。そしてBPRがほとんど成功しなかった、あるいは取り組まれなかった事について、その理由について私見を述べた。ドン・タプスコットが述べたように、全米でも企業の70%がBPRできなかった。 1.変えることへの抵抗感(慣性の法則)、2.イレギュラー業務の多さ、3.BPR効果の消失(パーキンソンの法則)、4.コスト先行性・効果不確実性、である。様々なところからBPRが進まない原因に

    • DXにかんする私見 <その1>

      「DX(デジタル・トランスフォーメーション」は、近年で最大のバズワードの一つになっていると言っても過言ではない。この現象は1980年代後半から1990年台前半にブームとなった「BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)」を想起させる。実際、巷では「DX推進が進まない」、「DXをやらなくても事業はできる」との声も多く聞かれる。さらには、「ITベンダーはDXをネタに高い費用を請求してくる」という声までも聞こえてくる始末だ。 IT系、マーケティング系、などなど様々なセミナー

      • IT産業で経験したこと <IT産業アナリスト時代 後半>

        <ガートナーという看板を捨てる> ガートナーという天下の大看板を外してチャレンジするのは、大変な決断だったと思う。ITRを売却していれば内山さんはお金持ちになっていたであろうに。遂にITRは株式会社として東中野で再出発することになった。そして、一体どういうポジショニングでどんなビジョンの会社にするのかと言うことが最初の議論だった。いかんせん、ガートナーという世界的なブランドを捨てたわけだから。 詳細は述べないが、経営者の横にいてアドバイスをすることを主な任務として、外資系

        • IT産業で経験したこと <IT産業アナリスト時代 前半>

          <<はじめに>> 前回述べたように法学部出身者が、ソフトウェア開発エンジニアになり様々な経験をした。現在転職を収入アップのためと考える人も多いのだが、僕の時代は今と違って普通に仕事をしていても毎年5%程度は昇級したわけで、収入アップのために転職する人は少なかったと思う。僕の場合、同級生よりも2年遅れて社会人になったために、特に初任給の高かった金融業界に進んだ同級生に早く追いつきたいと頑張ったのは確かだった。その結果、毎年20%から30%程度昇級できた。 僕が転職した最大の

        DXにかんする私見<その2>

          IT産業で経験したこと <第1期 エンジニア時代>

          IT業界で進行していることや政治・歴史・社会についての意見などを述べていきたいと思っており、その前段として自己紹介を兼ねて自分自身の過去の歩みなどをご紹介させていただきたい。 大学を卒業して仕事に就いてからの人生は、第1期ソフトウェア開発エンジニア時代、第2期IT産業アナリスト時代、第3期IT企業立上げ屋時代、そして第4期海外時代とに分けられる。 まずは、1986年から1998年までの12年間(第1期ソフトウェア開発エンジニア時代、第2期IT産業アナリスト時代)のIT業界

          IT産業で経験したこと <第1期 エンジニア時代>