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IT産業で経験したこと <IT産業アナリスト時代 後半>

<ガートナーという看板を捨てる>

ガートナーという天下の大看板を外してチャレンジするのは、大変な決断だったと思う。ITRを売却していれば内山さんはお金持ちになっていたであろうに。遂にITRは株式会社として東中野で再出発することになった。そして、一体どういうポジショニングでどんなビジョンの会社にするのかと言うことが最初の議論だった。いかんせん、ガートナーという世界的なブランドを捨てたわけだから。

詳細は述べないが、経営者の横にいてアドバイスをすることを主な任務として、外資系コンサルティング会社ですらできかねている分野にターゲットを当てた。そして、20~30人までの企業でいようと言う目標で一致した。いわゆるコミュニティとして1人1人の社員の顔や思い、その家庭までもが見渡せる規模が理想であった。また僕はAppleが好きだったので、大きなクッションで寝っ転がりながら議論できるようにしたい、そして外部にいる有識者でITRに協力していただけるかたをITRフェローとして提携していけばどうだろうかとの提案もさせていただいた。

この規模については様々な根拠がある。まず原始的な生活を今でも送っている部族がこの規模だということ。せいぜい、コミュニティとして機能するのは200名前後だといわれている。ルソーが民主主義は小規模でしか機能しないと結論している通り。それが、それぞれの顔や思いをすぐに思い浮かべることができ、思いやアイデアをシェアできる規模なのだ。

ある時、内山さんから報告があり、元オラクルの役員でグプタの日本支社長になられたK社長からお祝いをいただいたので何を買おうかと言うことだった。情報技術研究所設立後にはじめての利益が出たときにも、社内で1品皆が欲しいものを買ってもらったことを思いだした。たしか、音楽を聴きながら仕事をしたいというので選んだのがCDラジカセだったと思う。そして結局、今回は最も快適に仕事ができる椅子を買おうと言うことになって、人間工学に基づいて造られた高級オフィスチェを買っていただいた。

<どうブランディングするか>

この仕事はどうしても米国のリサーチ会社のアンテナが必要で、内山さんは米国Metaグループ(後にガートナーに吸収される)と提携契約を結んでくれた。そしてガートナーというブランドを捨ててしまったわけで、どうITRをブランディングしていくかが問題だった。僕は、ITRのブランドはお客様が作ってくださる、と確信していた。幸いにも、データクエスト、ガートナーを通じて、内山というアナリスト、そして僕というアナリストを、個人名で覚えてくださり、分析や予測を信頼してくださっているお客様が既にいらっしゃる。このお客様こそが、ITRのブランドを支えてくださると確信した

そして、四半期に一回の無料セミナー(「ITフォーラム」と名付けた)を開催し、そこへコアのお客様にお願いして新規のお客様を誘っていただけないかとお願いした。第1回の会場の規模は60名で、嬉しいことにすぐに埋まってしまった。ここから徐々にITRの快進撃が始まる。この企画は現在も続いているようで、その規模は何倍にもなり、日本ではガートナーよりガートナーらしい規模になったと言っても良いかもしれない。ライオンさんや味の素さん、そして武田薬品さん、ベンダーではCTCさんやNTTデータさんなどがひいきにしてくださった。

あるとき、お客様と話していて「留学制度ができれば面白いなあ」という話題なったことがある。どう言うことかというと、お客様から我々と同様の産業アナリストとしてCIOの隣でIT戦略を立案する立場にさせたい方をITRに送りこみ、ITR社内で訓練するというアイデアだった。まあ、これは最終的に機能はしなかったが。

日々の業務というのは、月々発行するリサーチノートの作成、統計データの作成、お客様からの問い合わせに対する回答、セミナーなどでのプレゼン、そして特注のリサーチや分析レポートの作成であった。もちろん様々なトピックスをアナリスト間で話し合ったり、他のアナリストが作製したリサーチノートに関する討論など。

<経験からみえたモノ>

アナリストをしていると様々なセミナーやExpoからプレゼンテーションの機会をいただく。また、海外のユーザーカンファレンスなどに招待してもらうことも度々。そんな中で考えさせられたことが幾つかある。これは大事なことなので是非とも覚えておいていただきたい。

その一つは、日本企業のIT部門の方のプレゼンテーションと海外企業のそれとの違いだ。日本企業の場合このように進む。まず、ホームページに書かれているのような会社概要や製品やサービスの紹介からはじまって、次にお題のトピックスを話す。海外企業の場合はどうか?

海外企業のIT部門の方は、所属企業のビジネスとIT導入の変遷を関連付けて説明される。つまりビジネスからの要求に応じてどのようなITを構築し、ビジネスの進展にどのように寄与してきたかを歴史を追って説明される。

僕はこの違いに、日本のIT部門の抱えている問題が凝縮されていると今でも思っている。企業の中でのIT部門の位置づけ、IT部門の人事、などなど。もともとIT部門は企業内の総務部門や経理部門の中の一タスクとして始まった。次に電算部門として事業部に昇格。そうして肥大化したIT部門はシステム子会社として本業から切り離された。ここには、ITは本業じゃ無い、言い換えればビジネス戦略の中にITが位置付いていない、だから海外企業のIT部門の方がするような説明ができないのでは無いだろうか。IT部門のメンバーは、自分が会社の中で何をやっているのか、何に役に立っているのか、本当に分かっているんだろうかと、思ってしまう。

また、海外企業のIT部門には、コンピュータ・サイエンスを修得したようなプロが採用される。大学のインターンなどで夏休みに仕事をし、その能力を見込まれて就職する方も多いのだろう。そして入社後にマーケティング部門や営業部門などに人事異動するなんてことはまず無い。海外へ行って、僕が法学部出身だというと「では、弁護士さん?裁判官?」などと必ず訊かれる。僕の時代には司法試験を受けたなかから年間500人前後しかパスしないので、他国とは全く異なる。だから僕はソフトウェアのエンジニアになったのだが。ところが海外ではコンピューター・サイエンスのバックグラウンドを持った人がIT部門に採用されるのだ。また日本企業の採用は「就職ガチャ」「配属ガチャ」なので、文学部出身者がCADオペレータをやっているというケースすらまれでは無い。しかも3年後にIT部門から営業部門に配属される場合だって珍しくない。となれば「歴史的に」ITの変遷など話せるわけは無い。だから過去のソフトウェア遺産を棚卸しできないなんてことが起こるわけだ。

この違いはどこから来るのだろうか?海外企業では自社のシステムは自社で作るのが当たり前。なので、きちんとしたプロを採用して基本的には自社で内製する。もちろん社外の専門パートナーとともに構築するケースもある。しかし、日本企業は基本的にシステムは外注でつくる。IT部門は、社内の事業部門からのリクエストをまとめ、外注との間のコーディネーターとして仕事をする。外注はというと、ハードウェアメーカーや大手SI(システムインテグレータ)、あえるいはその関連会社や取引先、大手企業だとITゼネコンだ。外注は皆プロ集団だ。そりゃ良いようにされるだろう。IT部門と外注の唯一の違いは、RFP(提案要請書)が作製できるかできないかの違いのはずだ。

外注を選定したり、ERPなどの既製品を選定する際に、必ずRFPを作製しそれらをベンダーに送り、その回答を精査して選定するのだが、それをきちんとできている企業もほとんど無い。経営層からのトップダウンでシステム構築をすることも珍しく、せいぜい事業部門から出されるリクエストをIT部門がまとめて稟議をあげ決済を得るというやり方だ。

これじゃあ経営戦略とIT戦略が同期するはずが無い。なぜか?経営者にとってITは「めんどくさい」モノなのだろう。しかもカタカナ英語ばかりの宇宙語だし。これは、社会心理学や社会学から日本人とはどういうモノかを勉強すればなるほどと分かってくる。

海外のカンファレンス、たとえばHPやOracleなど、に参加すると会場には招待されたユーザー企業がわんさかと座っている。そこからプレゼンをしたベンダーの経営層や製品開発担当役員にむかって会場から出される質問を聞いていると、ベンダー側より遙かに詳細に製品の特徴や問題点をを分かっていることに驚かされる。ユーザー・カンファレンスというのは、ユーザーが製品をブラッシュアップさせるためにベンダーに要望をぶつける場なのだ。日本では全くかようなカンファレンスは開かれることは無い。海外のユーザー企業のIT部門は恐るべしだ。

もう一つは、僕らはいろいろな場所でプレゼンテーションをさせていただいたのだが、通常最後にQ&Aの時間をとる。ところがそこで手を挙げて質問をする来場者はほとんどいない。退場してロビーへ行くと、「すいません。お話を聞かせてもらっても良いですか?」と来る。「なんでQ&Aの時に質問しないわけ」って思う。あるいは数人でざわざわひとしきり「あれがどうだっただの、こうだっただの」と否定的なことを言いながら帰って行く。


これは、宮台真司氏が「キョロ目」状態と呼ぶ現代人の特徴なのだろう。自分の見解や質問が公になるのを恐れる、あるいはどう思われるかを気にして小さくなる、という現象。これは「同調圧力」や「空気を読む」という環境の産物なのだろう。こんな人の中からイノベーションは起こるべくもないと思ってしまう。

海外のカンファンレンスで面白いのは、ユーザー・カンファレンスの事前に、アナリストばかりを集めてベンダーのトップとQ&Aが行われることがある。これは、業界を最もよく知っていると目されるアナリストがどんな質問をしてくるかを確認しているのだ。そして、その結果で模範解答シート作製し、メディアやカンファレンス来場者の質疑に備えるのだ。欧米は、第3社のプロの目をとても大事にする。それが例え13歳の少年(車のアナリストで話題になった)であってもだ。つまり自分たちのビジネスを外部のプロの目を使って客観視するわけだ。アナリストは長年担当の市場、製品、サービス、評価を見続けている。その目を大事にするのも日本には無い海外企業の特徴といえる。

<ワクワクした仕事>

次に、僕がITRで実施した特注の調査や分析レポートでワクワクしたモノを紹介してみたい。まずは、当時発足したERP研究所さまからの依頼で、世界に存在するERPと連携して活用するアプリケーションやツールを調査する仕事だった。インターネットやインタビューを駆使して調べ上げたのだが400種だったか600種だったか定かでは無いが、とんでもない数の対象物を見つけ出した。そしてそれらをカテゴライズして、カテゴリー毎に製品の名称、提供ベンダー、基本的機能、どのERPと連携可能か、といったリストを造りグラフとともに納品した。世界でこんなことを調査した企業はどこにも無いだろうと思う。

またあるERPベンダーさまからいただいた以来で、プロセス製造業におけるERP市場の規模と将来予測だった。ERPを導入している企業の多くはディスクリート製造業つまり組み立て製造業だった。ERP製品によってはプロセス製造業をカバーできない製品もあった。

ディスクリート製造業とは、単体(個体)の部品を寄せ集めて1つの完成品を生産する製造スタイルのことで、例えば自動車、家電、半導体、などが相当する。それに対しプロセス製造業とは、流体を原材料とする製造業のことで、代表的ものが化学プラントや精油工場などで、化学薬品や原油などを流体としている製造業だ。これらでは、在庫の考え方などが大きく異なる。

ここの市場に打って出ようとしたのでしょう。僕は、産業分類からプロセス製造業を抜き出し、IT予算や導入予定など様々な1次資料から仮説を立てながら作製していったのだが、初めての試みでもあり非常に楽しかったのを覚えている。

ユーザー企業様からときどき問い合わせが入る。中でも驚いたのは、「何%のプログラマーをJAVAプログラマーにすべきですか?」と言う問い合わせ。なんとか調べて自分なりの私見を造り回答させていただいたのだが、確かにIT戦略として重要なのだと言うことがよく分かった。

僕は、経営者の横に座ってIT戦略を立案する、あるいはITプロジェクトを提議し、実装すると言うことをITRで目指したいと考えていた。ようやくそのチャンスが巡ってきた。僕がERP選定のコンサルティングをさせていただいていた愛知県の大手食品メーカーがあった。当時、納豆製造会社(A食品と呼ぶ)を買収することを大手食品メーカーはどこも検討していた。なぜならば、健康食品の代表格であり、しかも製造している会社はトップ3社でも売上げは20億円強で、M&A案件として絶好のサイズだったからだ。愛知県の大手食品メーカーは、3番手の納豆製造会社を買収した。この会社を皮切りにERP導入を進めるという事を経営者は意思決定したのだ。

早速その相談が来た。この小さなサイズの会社にERPを突っ込むという事例は日本ではまだ無かった。であれば、導入に成功すればERPベンダーの格好の宣伝材料になる。しかも、大手企業への導入はほぼ一段落していて、各ERPベンダーは中小企業へと矛先を向け始めた時期だった。この規模で似たようなプロセスを持った企業の事例を僕は知っていた。尚、その企業はWindows NTサーバでSAPのR/3を動かしている冷凍食品製造会社だった。ほとんどの導入事例はこの企業よりも遙かに大きく、しかもUNIXサーバで稼働していた。

ここは大事なポイント、つまり事例を調査する場合は、自社と同規模でしかも似通った業種の事例を調査せなばならない。これは、ガートナーで学んだ原則だった。A食品の社長に対して、この冷凍食品製造会社(T冷凍という)を訪問して、社内プロセスを調査して欲しいとお願いした。社長は快く承諾し、訪問した。その後社長にどうでしたかとお尋ねしたところ、「作っているモノは違うがプロセスは非常に似通っている」との回答を得た。次にRFPを作製してもらって(簡易なモノではあったが)、T冷凍に導入したSIer(システムインテグレータ)に提出し、回答をもらう。

一方、僕はSAPへ出向き、この事例を成功させれば中小企業市場への浸透に弾みがつく旨の説明をした。そして、現場のリクエストにいち早く回答してもらうためになるべく高いポジションのある方にプロマネをお願いしたい旨要望した。幸いにも、東日本営業本部長をアサインしていただくことができ、しかも導入を担当してもらうSIerさんからはT冷凍に導入した部隊の主要メンバーをアサインしていただくことができた。

これで全てが断然早くなる。導入コストを抑えるには、早く正確に各タスクをこなすことに限る。時間がかかるのは、ユーザー側のタスクだ。訓練不足とスキル不足が相まって時間がかかる。だがしかし、貴重な体験をさせていただいた。

そうこうしているうちに様々なITプロマネとお会いする機会が増えた。またベンダさんたちとも緊密になった。僕が産業アナリストとして分析したりアドバイスしていることが、一体どれほど実践で役立つのだろうかという疑問がわくようになってきた。まあ、それがきっかけでITRを一旦でることにした。内山さんには「修行に出させてください」と言って了承してもらった。まあ、本人は覚えておられないだろうけれど。

さあ、この後は様々な企業の立ち上げ、そして海外での仕事の経験が続くのだけれど、その前に「DX」(デジタルトランスフォーメーション)についての私見を述べさせていただこうと思う。これまでの経験からの僕の私見と言うことになる。乞うご期待!

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