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「お金の為にやっている訳ではない」表現行為がつまらない明確な理由

こんにちは、NAO.です。

まず最初に書きますが、今回の記事はかなり主観的且つ割と多くの人を敵に回したり炎上の可能性を秘めていると思います。

不穏に感じたら、その時点でブラウザバックして下さいね。

さて、音楽をしていると、よく出会うのが「お金の為にやっている訳じゃない」とか、「趣味だから」と言ってつまんない歌を歌ってる人です。

「人の為に」とかもよく聞きますね。

別にその活動原理は否定しないんですけど、気になるのはそういう人ってマジでみんなつまんない歌しか歌わないんですよね。

それは何故なのかっていうのを個人的に考えてみました。

一つ目、まず必死さとかひたむきさがないですよね


プロの歌手なんかも売れて来てお金持ちになると魅力がなくなるとかよく言いますけど、売れてもないくせに魅力がないのが無欲アマチュア勢です。
やっぱりお金を稼ぐとか有名になりたいという貪欲さってパフォーマンスや人間性に魅力を与えるんじゃないかなって思います。

二つ目、“趣味だしタダだしって、精神的に逃げてません?”

園児の発表会とか、学生のクラス劇とかって無料ですよね。
だから稚拙な部分があっても許せるというか、あって然るべきだし、むしろそれに愛おしさを感じるためにあるのが発表会やクラス劇じゃないかなって思います。
無欲アマチュア勢は、表現に対する認識がそこで止まってます。
至らない部分は気合いでカバー!ではなく、でもお金取ってないから!でカバー!

三つ目、そもそも趣味なら部屋で1人でやってればいいのにという話

人前に出てパフォーマンスするってことは、例えお金を取っていなくてもその人の有限でありお金よりも価値の重い時間というものを頂いているのだという、マジで手垢のつきまくった常識も認識出来ていないのが無欲アマチュア勢です。
人に割と大きな影響を与えるものを趣味と呼んで良いのかどうかは判断が分かれると思いますが、それを趣味と呼べてしまう精神性が既につまらない歌しか歌えない答えですね。
例えば音楽を趣味にしたいなら、今の時代スタジオでもカラオケでも、環境は溢れかえっています。

四つ目、そもそもその無欲さは自分への諦めが原因なんじゃないですか?

とは言え、無欲アマチュア勢ってスキルそのものはかなり高い人がいる事も事実です。
人を惹きつける力とスキルは無関係とよく言いますが、確たる理由はここにあるんじゃかいかなと思います。
恐らく、今現在無欲に活動していても、過去には高みを目指していた経験がある人がほとんどなのだと思います。
けど才能と努力の壁を越えられず、身の丈を知る。
だから、みんなやっぱり上手いです。
過去のちょっとした栄光めいたものは片鱗が見えますし、自慢話がウザイです。みんな有名人とニアミスしたり友達になり過ぎ。

諦めから生まれる表現なんて言わずもがなです。
そこにちょっとしたワンチャン下心とかあるともう目も当てられません。

最後に、問題なのは、その精神って若者に後ろ向きな影響を与えちゃうんですよ。

これはつまらなさとは関係ありませんが、ある程度のキャリアと実力がありながらそうやって燻っている人間の影響って、本人達が思っている以上に大きいし、酷い人は若者に対し夢を追うことを諦めるように諭したりするんですよね。

駆け出しの身にしてみると、この人でも無理だったなら自分なんて箸にも棒にもかからないかもと考えてしまっても不思議では無いですし、実際それで才能を試す前に諦めた人も多いんじゃないかなと思います。

無欲アマチュア勢って無駄にキャリアだけは積んでいたりするので、地場のライブハウスではお局さんみたいになってたりしますから。(その筋では有名な人とかいう恥ずかしい称号を持っててそれを誇ってる)

もしもあなたがより高みを目指していて、あなたが活動している場にそういうつまらない人間がいて、その人が覇権を握っているような歓喜にあるのなら、すぐにその場から去ることをオススメします。
基本的につまらない人はつまらない人同士身を寄せ合うのが好きなので、パッと見は凄い人に見えるかもしれませんが近所のコンビニ店員に顔も名前も知られてないような程度の人がほとんどです。

駅前の公衆トイレ以下の認知度の人間にへりくだる必要も、影響される必要もないのです。

野心や野望、夢や目標は常に持ち続けて、発信し続けるべきです。

つまらない人が何故つまらないのかを掘り下げてみれば、魅力ある人が何故魅力ある人なのかがわかるような気がしませんか?
魅力ある表現とは、もしかしたらそんな単純で簡単なことで獲得できるのかもしれません。

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