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定期CT検査(ガンが消えた日)

ガン患者6年。
本日は
ちば労災病院にて
毎月4週間ごとに受けている
定期的な検診の日

いつもは
血液検査、尿検査、レントゲンの検査をして先生と診察がてら、
おしゃべりする。
今回は、CT撮影にて
詳しい肺の撮影をプラスした日でした。

6ヶ月ごとに、
肺のCT撮影をして、
1年ごとにMRIの撮影をして
交互に検査する。
もうかれこれ何回目なんだろう。

毎月の血液検査を受けるだけでも
普通に生活している人からしたら
羨ましいと思われる検査だろうけど。

尿検査だって、
特別な理由や症状がない限り
そうそう受けられるものではいので
恵まれてるなぁと
毎回病院へ行くたびに思っている。

予約を取ることすら、難しい大きな病院なのに、来院日が
年間で決まっているわけだから。

さらに、何かあれば救急車で
いつでも駆けつけて良いと言われている。

逆にここまでされていると
なかなか甘えることもできず、
頑張って完治させようと思わせるのが
狙いかもしれない。

病気になったのは、なぜなのか
今ならはっきりとわかる。
全て自分のせいだと心から思う。
健康管理や、精神管理ができていない日々が確実にあったから。

そんな私の不手際に、
たくさんの方がいまだに応援してくれたり、体調を気遣ってくれる。

簡単に
恩返しできるとは思えないほど
たくさんの施しを
たくさんの人たちから受けてきた。

感謝と、ありがとうだけで毎朝起きるたび、ああ生きている。ありがたい。
太陽に向かって笑いながら
あっという間に6年生き延びてしまった。

恩返しをしろと言われたら、誰にでも
どんなことでもしないとな、
とは心に刻んで生きてはいるが
まずは
健康管理に気をつけて
笑顔で過ごせるようになることからと
心に決めた。

中途半端に、治って、
また迷惑をかけるのは
心配かかるだけだもんねと
思って生きていたはずなのに
なんと先月から、健康の兆しが見えてきた。体調も夕方眠いくらいで
毎日動けるようになっている。

右の肺に転移していた
大きなガンの影が薄くなり始め、
呼吸もずいぶん楽になってきている。

今回のCT撮影に
至ったわけは、本当に消えてるのか
詳しく調べる意味での撮影となった。

もちろん、強い抗がん剤は今でも毎日
飲み続けている。
点滴や、強めの飲み薬を
入院で投与した日もここ数年間あったけど

いまだにアレセンサという抗がん剤を
朝晩飲み続けているのに
髪も保ったまま、肌荒れもせず
痩せこけもせず、シミも治ってしまったくらい肌も黒くない。

6年お世話になっている担当の先生、
(もうすでに院長)からも
深刻な話もいまだになく
毎回、ゴルフの話や生活の話をして診察室から出てくる。

今回のCT撮影の画像を保存して良いですか?と
携帯で写メしようとしたら
先生自ら、僕が撮ろう、と
撮影してくれるほど喜んで
笑っていた。。。

あと何年生きられるか
そう言いながら毎日過ごしている。

確率論で言うと
肺がん患者生存率
4年で40%は
軽く超えてしまいました。

今飲んでいる飲み薬の抗がん剤が
とうとう効かなくなって
別の抗がん剤に変更したのは2年前。
ローブレナという強い抗がん剤。
入院しないと服用できないほどの
強い抗がん剤。

ふらふらするし、頭が痛くなる。
飲むと三日間動けなくなり、
薬をやめて退院させてほしいと懇願し、
この薬を使うことは断念した。
(今ではお試しだったのかなと思う)
その後、選ばれた治療法はオプジーボ。
通院で点滴をする抗がん剤だ。

これは有名なお高い点滴だったので、
ちょっと興味津々だった。
漫画喫茶のような半個室で
音楽を聴きながら、みな自由な雰囲気で点滴を受けている。
笑顔の多い治療室にみんな
最終治療なのかなと思いながら
私も
楽しんで通院点滴を2度ほど受けた。

そんな最終兵器を使ったにも関わらず
さらに大きく現れた右肺のガン細胞。
なかなか小さくなってくれなかったみたいで、くるしい咳も続いていた。

2022.10には、
コンペの後、クラスターにて
コロナに罹ってしまい娘にも感染させ、
もう人生ここまでか、
あきらめて最後の生活かと、
入院を断って
娘と床を這いながら
2人でコロナを治した。

咳をするたび肺からたくさんの血が出て
さすがにこれで終わりだろうと
部屋を片付ける毎日となった。
それでも笑って過ごすしかなく。

そして
薬も💊すでに
効かなくなってしまったはずの
アレセンサに2年ぶりに
戻されることとなった。
先生もお手上げだったのかもしれない。

今回に至るまで3種類の抗がん剤治療を受けてきて
最後に戻したアレセンサが
よほど体に合うのか、1月から
飲み始めて半年。

右肺のがん細胞がなぜか
消えてしまい、びっくりしたので
今回はその写真と共に
備忘録としてノートを記すことにした。

6年間、少しづつ、経緯などを記してきたが、ゴルフやら、ナリスやら、
派遣の仕事やら、
孫の世話などで
ずいぶん適当な記録となっていることは間違いない。
こんなガン患者、ふざけてるとしか思われないだろうな。なので忘れないうちに書いているつもりなんだけど。

B型資質というより、
楽天家であることが自分の性格でいちばんの特徴なのだということが
はっきりとわかる人生の仕上がりとなった。自分を知るということの大切さまで
すでに学んでいる。

とりあえず写真を
添えてみる。

2022.6月の検診時の
レントゲン写真



2023.1この影がなかなか消えなかった
2023.7なぜか影が見えない
比べてみてもこの通り

右と比べて左の肺に
白い影が減っていることが
わかるだろうか。

ここまではレントゲン写真。
2023.7の検診時、先生も驚いていた。

そして、この消えてしまった白い影を
詳しく見るために
今回8月は
CT撮影となった。

断面図右の写真にはガンの影が見える
少しづつ広がりを見せる
うっすらと広がる

断面図になっているので
1月の右の写真の白い影が
だんだん下がっていき、
今日8月に撮った左の写真には
無くなっていることが
見えてます。

細かくて白いのは
血管です。
(煙のようなものががん細胞の影となります)

毎日、強い抗がん剤を服用しながら
心臓のリズムを整える薬💊
血圧を調整する薬、💊
甲状腺ホルモンの薬💊💊💊

ビタミンCの服用と腸を整える💊
メルスモン注射💉

健康な時に見たとしたら
イヤになるくらいの
たくさんの薬を、慣れた手つきで
手際よくちゃっちゃと仕分けして
ザラーっと飲むのが
毎日
当たり前になっている。

キノコ🍄が良いと言われたら
毎日キノコを食べる、
四つ足食うなと言われれば
控えめにして
運動は毎朝起きたら
床を拭いた後にラジオ体操から始めて
たけまりフィットを30分ほどやる。

食事制限というほど
過酷ではない程度に食べている。
タンパク質と上質な脂質、
ごはんは麦や玄米で。
フルーツと野菜は欠かさない。

自分でおうちごはんを
楽しんで作れば
なんでもない食生活を送っている。
JKには物足りないみたいでかわいそうだが。

お酒はもう、一生分飲んだので
全く欲しない。タバコの煙も苦手だし、
その匂いのする人も苦手だ。

今、この生活を楽しめるのと、
体が耐えられるのは
子供の時から
毎日真っ黒けになるまで海や山で
遊ばせてくれて
3食食べさせてくれて、本を読んで、ゲームさせてくれて
お友達とたくさん遊ばせてくれて
健康を保ってくれた親のおかげだと思う。

小さい時から、
脂肪分や糖分の多い現代の食生活を
していたわけではないからこそ
無事に生きていられるんだと思う。

働く親の代わりに
食事を作りにきてくれていた
母方のおばあちゃんには
今でも感謝しかない。

来週は、
お盆。
なぜか親戚や、
ずいぶん会ってなかった弟までもが
浦和のおじさんちにあつまれるようだ。
嬉しい。ライン一つで連絡が取れる。
ほんとに嬉しい時代になった。
みんな元気かな。

お母さんも、一緒に写真で
連れて行こう。

みんなに、霊人に、
感謝の気持ちを伝えよう。

たくさんの感謝をする機会を
与えてくれたことに
また感謝。

病気も、離婚も、貧乏も、たくさん経験させてもらったけど
どれひとつとっても
なにも私にとって辛いって経験ではなかった。
生きて行く上で学ぶために必要であり、
今感謝するための自分の人生だったと言える。

さて、これから
皆さんへ
どう感謝を表して行くか
それだけを今日も考える。

いつもありがとう

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