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真面目からヤンキーへ。

物心ついた頃から中学3年生まで ひたすら真面目で、ひたすら大人しい 教室の隅にいる様な性格で、家でも学校でもイジメられ続けた15年間だった。

そうゆうのも嫌で高校には行かずに働いたけど、実家のイジメ嫌がらせに息苦しくなって、家にいるのが嫌で、中学の時ヤンキーだった女の子と毎日夜な夜なオールして見た目もどんどん派手になって、暴走族や893と絡む様になった。

正直グレーじゃない悪いこともたくさんしてきて、夜中ずっと遊んでたのがかなり長年続いた。

その頃には真面目さも、大人しさも 無くなって
気が強くて自己中でお姫様だと思ってたくらい
とにかく性格が悪すぎた。

実家のことなんかどうでも良くなってた時期だった

その頃はおばあちゃんに心配されたけど、親が嫌いすぎて家に帰らなかったパリピ状態。

原付きでヤンキー友達とふたりのりしてた時に
たまたまなぉみが運転してて


バイクと正面衝突して、二人とも原付きから投げ出された。

友達は腕を怪我して、なぉみは後頭部ひび割れて意識不明で泡を吹いてたらしい。

後で聞いた話では、
「今夜が峠です。」
って医者に言われたって聞いたけど
目が覚めて天井がまず目に入って、
化粧もコンタクトも取れてて病院のベッド。

意識不明の重体からなぜか生き返ったけど、
正面衝突した記憶も事故も一切記憶にない。

おばあちゃんはいつもお見舞いに来てくれて、
退院した時は家に帰ったらなぉみの顔を見て
おじいちゃんが静かに泣いたのを見て…

そこからそのヤンキーの女の子とつるむのを止めた。

全治2か月だった中でヤンキー友達も入院してたから
その間は病院内で遊んでた。

頭の強打とひび割れのせいで嗅覚が全く無くなった
味覚は人の10分の2になった。

なぜかこの事故の後から性格がおっとり系に変化。

自己中や気が強いのも無くなって、
でも真面目や大人しい事もなくて、
自分で言うのもなんだけど、
優しくて思いやりがあって素直で純粋で真っ直ぐで
愛嬌がある性格に急変した。

人の為なら泣く事は出来る様になった。
自分の事ではあんまり泣かないけど
1年に一回泣くか泣かないかくらい。

死にかけたのは2回目。

1回目は幼稚園の頃、お母さんのせいで窒息死する寸前だった。
それはまた後日話そう。

そんな感じで、3回性格が変わった。

若くてピチピチの頃は外を歩いてると、
振り向かれて少し遠くから
「めっちゃ可愛い」って言われるくらい
モテたから自分でも自分を可愛すぎると思ってた。
そのへんに関しては一切困った事はない。

親やおじいちゃんが九州男児だからか多分、
九州女子的な顔立ちなのかもしれない。

モテる事に対して「簡単に好きとか言うな」って
男性たちに思ってた。
見た目しか見てない癖にって。

ヤンキーを卒業してからは実家で大人しくする様になったからお父さんのイジメ嫌がらせに遭うのが増えて嫌すぎて、実家から2時間くらい離れた、京都に逃げた。

おばあちゃんは寂しがってたけど取り残すような形で実家から逃げて京都へ。

この時から実家に住むという機会は一切無くなった。

京都→滋賀→京都→京都→滋賀を長年繰り返して、
色々あってかなりの月日年月が経って実家で暮らす為に帰ってきた。

実家で暮らすのが久々過ぎて周りの景色もお店も変わってたから、地元の地理が解らない。
自転車でも迷う。

今そんな状態だけど、久しぶりに家族と暮らしてみたら、なぉみにフェイトをお父さんは向けなくなってた。

誰にフェイトが変わったのかは言わない。

とにかく帰ってきて、おじいちゃん、お父さん、弟と
暮らし始めてちょうど1年。

一人ひとりに対する接し方を変えて笑顔で円満に家族と暮らしてる。

弟とは誰よりも仲良し。
二人で一緒に映画も観るし一緒にゲームもするし
ただただ二人で語り合う事もある。

最初っから弟やお父さんと仲が良かったわけじゃないけど、今が良ければ全て良し。

そして次回は、「お母さんが原因で窒息死しかけた」話について書いていこうと思う。

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