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インターと公教育が手を取り合えるか?

こんにちは!私は今、オランダの中でもTTO(tweetalig onderwijs)に分類される、いわゆるパイロット的な小学校で英語の教員として働いています。このTTOとは"バイリンガル校"と称されることが多く、(割合は様々ですが)基本的には「オランダ語と英語」の二言語でカリキュラムを進めていくことにフォーカスしています。

「えぇ〜、二言語で教育するなんて魅力的!一石二鳥!」

と思われるかもしれませんが、"バイリンガル教育"はメリットだけではないと現場にいると強く感じます。必ずしも2つの言語が順調に伸びることは稀であることも多く、児童生徒の中で「オランダ語が英語よりも弱くなる」ことが生じたり、その逆も然りです。これも、当該生徒の性格や家庭環境にも大きく依存します。

さて、この記事を含むマガジンではオランダの教育史の中でも「成功した!」と言われているオランダのバイリンガル教育について書いていきます。バイリンガル教育に興味がある方は是非、最初の記事から順にお読みいただけたらと思います。

英語教育の始まり

以前書いたオランダの英語教育の始まりについてはこちら、

オランダは周辺国と陸続きの国です。隣国の人々とコミュニケーションを取ろうとも、国境ならまだしも内陸(例えばアムステルダムなど)に属する人たちがそうしようと思えば、言語の違いからなかなか苦戦することも少なくありません。

そういった意味で、小国オランダが隣国と肩を並べて発展しようと思えば、コミュニケーションツールとなる英語を自由自在に扱えるようになることは国の存続にも関わってきます。

基本的に、どこの国も英語教育を始める理由は同じだとは思いますが、そのようにしてオランダでも英語教育は始まりました。

バイリンガル教育の始まり

ただの英語教育からバイリンガル教育に舵を取ったオランダ。その理由は単純に「英語教育」レベルでは不十分だったからだと言えます。特に科学技術に長けているオランダが、隣国であるイギリス、フランス、ドイツ、ベルギーとの関わりの中で、自国の技術を広め、利益を得ようとすれば「しょぼい英語教育」では対応しきれません。

また、アカデミックなフィールドでも英語を扱って論文を書けたり読めたりする人たちの人材成長も重要になります。

「まぁ、オランダはそうなのね」と思われるかもしれませんが、日本もまた他国との関わり、輸出入の中で経済を回しているのも事実です。非常に簡単な例にはなりますが、¥100で売りたいと思っている商品が「え〜、¥80にしてよ〜」と英語で押し切られる英語力で大丈夫でしょうか?大事な国交の場面で「日本は(英語で)捲し立てれば折れる」と思われていて大丈夫でしょうか?もちろん言語だけの問題ではありませんが、言語を取り巻く「態度」もまた、言語を通して会得するものです。

少し話はずれましたが、そんなこんなでオランダは単なる英語教育をさらにパワーアップさせて「英語教育のちょっと上をいく、バイリンガル教育に近いもの」を目指していきます。

「英語教育+(プラス)」はどうやって推し進める?

公教育に「英語教育+(プラス)」と取り入れようとした時に大きなポイントとなったのは「インターナショナルスクールとの協働」でした。具体的には、インターナショナルスクール(以下、インター)の教員や講師を公教育に招き入れ、その知恵や経験を共有するように国が主導したのです。

オランダの場合、インターは基本的に私立で、学費を徴収するかたちでその経営を維持している場合が多いですが、もちろん生徒が集まらなければ経営は傾きます。金銭的な支援はインターにとってはwinですし、公教育にとってインターから知識や経験を分けてもらうことは英語教育をバイリンガル教育へと発展させたい国の方針に則っているため、異論はありません。

国はそこに資金を投じ、インターと公教育は敵対するものではなく、共に「社会全体の利益」へと向かっていくものとしたのです。

とはいえ、当時の学校は今ほど英語教育が進んでいない訳なので、学校の先生たちはインターと手を取り合って英語教育を推し進めるのに苦労したと推測できます。それでもその計画が進んだのは、教師たちが「英語教育の意義」と、それが国の発展に大きく寄与すると理解していたからでしょう。

目先の利益よりも、未来の(社会)全体の利益

一方で、日本でそのような取り組みは(私は)聞いたことがありません。あったとしても、大きなムーブメントには至っていないと思います。それは単純に国がそこに着目していないことと、「目先の利益」に囚われているからかもしれません。

当時のオランダの公教育とインターの先生たちのように未来を見据え、「(社会)全体の利益」を両方の先生たちが想定できなければ、日本では(スーパー)私立教育ともいえるインターとの協働は難しいと思います。

私の娘はインターの保育園に通っていましたが、英語教員として何故これが他の保育園や幼稚園に横展開されないのだろう?と思っていました。そして、たかが「英語」を注入する環境や機会を得るために、月10万もの保育料を支払うことに馬鹿馬鹿しさを感じていました。それはもちろん、外国人労働者の雇用に消えていく部分も大きい訳ですが…(別の問題)。

違いの環境を観察することで見えてくる「日本全体の課題」

ということで、私は日本のインターと公教育が手を取り合うところを国がバックアップすることをやってみてはどうかと思っています。保育園から高校まで、日本にはインターが存在するので、インターの場所から近い学校では始めてみて、横展開に着手してみると良いのでは?と思うのです。もちろん、インターにとってもwin、公教育にとってもwinな策を見つけることは不可欠です。

そんなことを考えて、今年度から私はオランダのロッテルダム日本人学校で"exchange cooidinator"というお仕事を預かり、まずは日本人学校と現地校の生徒たちの交流を進めています。私は日本にいないので、日本人学校でやってみたらいいやん!と思ったところ、ちょうどスーパーフレキシブルな校長先生がそのお話をくださったのです。

そしてこの交流を生徒だけではなく教職員にも広げることができたら、それは「英語」という言語の範疇を超えて、「教育」という広い価値観の学びに広がっていくのではないかと期待しています。

必ずしもオランダの学校から学ぶだけではなく、日本人学校の先生たちが現地校に提供できる教育的価値が日本の教育には存在していると強く思っています。日本側は「学ぶこと」により大きな価値を置いていることが多いですが、日本の教育には多大なる魅力があるとも思っています。

話を戻すと、日本国内でインターと公教育が手を取り合えば、様々な(日本としての)課題が見えてくるでしょう。そして、仮にインターが公教育に比べて私学教育として豊かな教育施設を持っていたとして「圧倒的多数の公教育がこれでいいのか…?」という公私を超えた「教育者」としての視点を持ってくれると良いなと思います。

逆に公教育の先生たちは、私教育に見られる「予算があるからこそ得られる環境」に対して、公教育はどのように社会に対して声をあげればいいかを考えることができるかもしれません。一言で言えば、「いや、公教育も大事にせぇよ!!」という怒りかもしれません。笑

両者の立場から見る「教育の課題」は日本全体の課題に近づきます。そして、前向きに行動を共にして変革に近づくことが可能なのではないかと思うのです。

「良いものは共有する」
垣根を超えて交わる時に、私たちは新しい景色を見ることができるのかもしれません。

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