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保護者と話すことで感じた「パートナー」との関係の在り方

こんにちは!先日、娘の小学校のクラスの保護者が集まる夜の飲み会に参加してきました。娘のクラスでは必ず毎年1回は保護者が集まって飲んだり、夏であれば子どもたちも一緒にビーチで集まって遊んだり、食べたり、飲んだり(笑)…というのが開催されます。毎年、そういった催し事を仕切ってくれる保護者がいて、とても助かっています!


男の子3人を育てる、ビーチバレーが趣味のリサ(仮名)

オランダのママはタフな人が多い…これは勝手な偏見かもしれませんが、周囲のママたちを見ていていつも思います。というか、彼女たちは「母親」としての顔以外にもちゃんと「自分として生きる人生」を持っているからこそ生き生きと人生を楽しんでいるように見えるのです。そして、私の周囲にはそれを喜んで支える男性も多いように見えます。

今回の飲み会を企画してくれたリサとは学校前で顔を合わせれば挨拶さえしますが、これまで落ち着いて話をしたことがありませんでした。今回の飲み会でゆっくり話をしたのですが、彼女は3人の男子小学生を育てながらオランダでも有数の広告会社で名の知れたライターとして働き、週に2〜3日はビーチバレーの練習をして時々大会にも出場しています。(驚)

「どうやってそんな人生をマネジメントしてるの。笑」と言う私に、彼女は

「夫婦で支えあって、尊重し合うのよ。私たちはパートナーであり、家族というチームの一員なんだから😊」

とあっさり。「菜央は?ヨシ(夫)と上手くいってる?ちゃんと夫婦の時間も楽しんでる?」と聞いてくれました。

幸い、うちは夫婦仲も良く、夫婦というよりは親友みたいな関係です。

「うん。うちも仲良くしてるよ。でも、ここは自分たちの国ではないから、何をしようにも大変なことも多いかな。でも、だからこそ夫婦の関係をちゃんと整えることで乗り越えられることも多いんだなと感じているところ」

そう言う私に、「ずっと愛し合える夫婦でいられるようにするって大変なこともあるの。だから、関係を整えるために時には周囲を頼るのよ!わかった?」と気遣いの言葉をかけてくれました。

「パパ」や「ママ」だけの自分ではない自分"も"生きること

リサの家では、彼女がビーチバレーの練習で出かけたり、夫のジェイク(仮名)が友だちと飲みに行ったり、ジムに出掛けたりすることもあるのだとか。その時はどちらかが子どものために残ったり、近所の友だちの家に預けたり、ベビーシッターを雇ったりしています。

「子育ては超楽しいよ。そうじゃなかったら3人も産まないよね。笑 でも、やっぱり"自分"があっての"ママ"だし"パパ"なわけだから、自分の人生を楽しんでいる姿も子どもには見て欲しい。人って色んなところに居場所があった方がいいじゃない?居場所も固まらない方が、人間として柔軟でいられるよ

とのこと。最近、現地校で英語のTAをすることが決まったと言うと、彼女は「よかったじゃない!!そうやって色んな場所で菜央が輝くと思うと嬉しいよ。おめでとう!」と喜んでくれたのでした。

パートナーが愛し合うためにできること

そんな話をしてくれるリサとジェイクはやっぱりとても仲良しに見えます。話をしている様子を見ていても言いたいことは言い合っていそうに見えるし、お互い良いパートナーであることは手に取るようにわかります。

「ちゃんとヨシと夫婦の時間は作れてるの?」と聞くリサに、「うちは2人とも家で仕事をしているから、子どもが学校に行っている間は話ができる時間はたっぷりあるし、夜も子どもが寝てからよく喋ってるよ〜」という私。

「時には場所を変えて、2人でレストランに行くとか、子どもを誰かに預けて遠くにデートに出掛けてみるとか、したかったら言ってね。夫婦っていうのは、"わざわざ"時間を取って話し合ったり、方向性を整えていかないといけないって、子どもが少しずつ大きくなってくるにつれてより感じてる。ずっと愛し合う関係でいるというのは、その努力を怠らない関係でいられるようにお互いが努めるってことだよね」

この言葉、結構響きました。

どんなパートナーとの関係にも、波はあります。それが乗り越えられることもあれば、そうじゃないこともあるでしょう。私たち夫婦だっていつも良い時とは限りません。だからこそ、日々の中で「パートナーシップを整える」というアクションが重要になってくるのかもしれません。子育てをしていると、それが頻繁に必要だと感じます。

家族のかたちが問題なのではなく「自分」を大切にすることができているかどうか

「パートナー」という言葉ばかりを使うと、シングルマザーやシングルファザーの人たちを置いていくような表現に聞こえるかもしれませんが、結局のところパートナーの有無というよりは「自分が自分であるということを大切にできる人生かどうか」なのではないかと思いました。

家族のカタチを問うのではなく、社会に生きる大人、特に子を持つ親が生き生きと自分の人生を生きられているという満足感を得られているかどうか。それを問うこと。その満足感が子どもたちに大きな影響をもたらすのではないかと感じます。

片親での子育てきっと大変なことも多いと思いますが、それを踏まえた上でどのように行動するかは変えていけるのかもしれません。そういった意味で、リサや周囲の保護者がしきりに言う「助け合おう!」というアクションはどんな家族のカタチを持った人たちにとっても必要なオプションだと思うのです。

役割を持たない「自分自身」を大切にすること

今月、私たちは結婚9周年を迎えます。その話をリサにすると、「子どもなしでお祝いしなよ〜!」とかなり強く勧められました。確かに、夫婦だけで食事に出かけるなんてしばらくしていません。…ということで、早速お気に入りのレストランを予約して、子ども抜き、夫婦でささやかなお祝いをすることにしました。

その日くらいは食事の席での「母親や父親」という役割を忘れて、久しぶりにゆっくり2人で食事を楽しんでみようかなと思います。

リサと話をして、改めて「子育て中は◯◯を諦める」みたいなことを当たり前にしない社会の在り方を感じた気がします。もちろん、オランダで子育てをしている全ての保護者がそうではないとは思いますが、社会から与えられた"保護者"という役割だけに固執せず、「自分というものを大切にすること」や、「パートナーとの関係を健康的に保つこと」への強いこだわりや意識を再確認する良い機会となりました。

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