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オランダのバイリンガル教育、英語教育

こんにちは!このマガジンではオランダのバイリンガル教育についてまとめていくことにしました。元高校英語教諭として、オランダのバイリンガル教育について、この国の情報と現場での経験を交えてまとめていきます。

私と"英語"という言語の歩み

1) ECCとの出会い
私との英語との出会いは小学校5年生に遡ります。元々海外旅行が好きな両親に育てられた私は、小さい頃からオーストラリアやアメリカ、ヨーロッパなどを旅するのが好きな家庭に育ちました。それもあってか、ミーハーな私は(笑)、「英語が喋れたらかっこいいなぁ」と思うような子ども生活を過ごしたと言えるかもしれません。

小学校5年生の頃、小学校近くにあったECCに通い始めたのは、ブラスバンドクラブにいた友人の影響でした。そこから英検を受検するなどして、どんどん「喋れたらかっこいい」がそのまま体現できる英語というものにどんどんのめり込んでいったように思います。

2) 高校中退と外大合格、留学
それから、中学校3年生の時には英検2級に合格し、どんどん「自分は英語が得意なんだ」と理解するようになりました。一方で、その後進学した高校は吹奏楽をメインとする高校で、お世辞にも勉強が得意な学生の通う高校ではありませんでした。結果的に、その後私はその高校を中退するのですが、その時の両親との約束が、
・大学に現役で合格すること ※外国語大学
・進学先の大学で長期留学をすること

でした。

3) アメリカでの留学生活
その後、外国語大学に合格した後は、正直とりわけ英語の成績が良いという訳でもなく、一般的な外大生として、一般的な大学生活を過ごしました。3年生の時に、アメリカのアイオワ州に長期留学…といってもたった10ヶ月の留学ですが、両親から離れて現地学生とルームシェアをして寮生活を過ごしました。

私の経験上、大学を卒業して社会で働き出した若い人たちに「人生で1番勉強したのはいつですか?」と聞けば「大学受験」だと答える人が多いですが、私にとって人生で最も勉強した時期、そして1番辛かったのは留学時代です。

それは留学という特殊な環境に身を置いたことによる複合的な苦しさとも言えますが、自分の英語力の低さや、現地の学生や一般の人々とのコミュニケーションがこんなにも難しいのだということを「外大生」として経験した辛さとも言えるかもしれません。自分の不甲斐なさを感じ、レベルの低さ、心の弱さ、勇気のなさを感じた日々でした。

4) 外大生とは思えない英語力への絶望
私が最も絶望を覚えたのは、私が英語という言語を使いこなすに必要なスキルを持っていないという紛れも無い事実を突きつけられたことにあったと思います。英語という言語レベルもさることながら、エッセイやペーパーを書く時の"型"を知らないこと。教授はそれに驚いていました。
「君は、"外国語大学"と呼ばれるところに通って、英語を専門に学んでいるのではないのかい?」
そもそも、大学で"言語として英語"を学ぶことは当時の現地の先生たちにとっても違和感があり、そんなものが単体としての学問として存在するのか?という様子でした。英語というのはおおよその場合、英文学とかと組み合わさっていて、英語を学ぶのではなく「英語"で"学ぶ」というのが基本的な考え方です。もちろん、文化比較や英文学のような授業はありましたが、そもそもその内容を日本語で学ぶような科目も多く、当時はまだ「英語"を"学ぶ」ような授業が多かったように思います。

5) 私を鍛えてくれた留学
そんな私でも何とか留学を終え、日本に帰国しました。途中から気合が入った私は予定よりも早くプログラムを修了し、現地の学校を視察訪問させてもらったり、友人の授業の聴講に入るなどして「何とか持って帰れるものを!」と思って留学生活を過ごすことに必死だったように思います。

ベンチャーでの企画営業、英語教員から英語教諭になる

その後、ベンチャーで企画営業を担当させてもらい、英語の重要性や需要を感じた時、公教育で英語を多くの学生に楽しんで学んでもらえるような役割を担いたいと思うようになりました。

正直、私が英語環境にイマージョンしたのはあの10ヶ月のみで、教員になってからは自分の英語力がどんどん衰えていくのを感じていました。高校というとても重要な学校種で英語を教えながら、自分自身の英語力をブラッシュアップする時間が十分に確保できない日々は、自分自身のプロフェッションがどんどん錆びていくことを看過していくような日々です。

夏休みを利用して、英語づけの研修に参加しても、たった1週間〜2週間程度のこと。長期休暇は出来るだけ海外に出るようにして、生徒の短期留学に携わることで英語のブラッシュアップを心がけました。

子どもをインターの保育園に預けることで言語発達を観察

言い方は悪いですが、英語教員として子どもを言語発達の実験材料として利用したことも事実です。幼い我が子がインターの英語保育を通してどのように言語を発達させていくのかにとても興味があり、バイリンガル教育や言語発達という観点から、子どもの発達を見つめることをしていました。

一方で、非常に多忙な教員という職業を維持しながら子育てとの両立をすることはとても難しく、最終的に社会と教育との関わりを見つめ直すために2019年にオランダに移住しました。

バイリンガルの小学校で勤務中

日本にいた頃よりは日常生活で英語を使うことが増えたことは確かですが、イマージョン環境にいるかと言えばそうではありません。…ということで、2022年からバイリンガル教育を実践する現地小学校に勤務することで、バイリンガル教育というものを身近に観察、実践するということを試みています。

オランダはEFの2019年の調査で、第二言語としての英語を最も流暢に話す国とされました。また、オランダの教育文化科学省も、オランダの教育史の中でバイリンガル教育を最も成功した例の1つとして挙げています。そもそもオランダにおける公用語はオランダ語であり、現地校に通うほとんどの子どもたちは学習言語をオランダ語として学習しています。

このマガジンでは、オランダという最も第二言語としての英語を流暢に話すと言われる国の教育政策や、オランダに無数にある小学校の中の「1つの小学校」でどのようにバイリンガル教育が捉えられているか、などについて紹介していきます。

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