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9歳の友だち関係の悩み(2)

先日、9歳の娘が小学校で友人関係の悩みがあることを打ち明けてくれたことについて記事を書きました。

この時の問題はどうやら解決したようなのですが、次は別の問題が。どうやら、4歳の時からずっと一緒のクラスで仲良くしている子が、その子の勘違いによって「仲間はずれにされた」と感じているそう。そして、その原因が自分だと勘違いされて、心無い言葉をかけられたようなのです。

一度ベッドに入った娘でしたが、

「お母さん、ちょっと横で一緒にいて欲しい」

と不安そうな顔で起きてきました。どうやら、明日が不安でドキドキして眠れないのだとか。ということで、夜ベッドで横に寝転がって、2人で天井を見上げながら話を聞いてみたのでした。

お母さん、今日ね。

学校へ迎えに行った時、4歳の頃から仲良くしているRina(仮名)が不機嫌そうに門から出てくるのを見かけました。その時はそんなに気にしていなかった私ですが、帰り道に自転車を漕ぎながら、娘がポツポツと話出します。ちなみに、Rinaと娘は4歳の時からずっと同じクラスで、同じ習い事をしています。最近はようやく隣同士に座ることができて2人とも喜んでいるところでした。

「今日、Rinaが朝から"私のことを仲間はずれにしたあなたのことを私は許さないから。もう友だちじゃない"って言ってきて…私はそんなことは言ってないし、してないんやけど、ずっと朝から喋ってくれへんかってん…なんでこんなことになっちゃったんやろう…」

おぉ、これは何か大事(おおごと)ですな…

「何が起きたん?」と聞いた私に、娘は事情を説明してくれました。

どうやら、仲の良い4人組で遊んでいたところにRinaがやってきて一緒に遊びたいと言ったそうなのですが、その中の1人が「今は4人で遊びたいから」と、やりとりの中で言ったそうです(娘ははっきりとは聞いていないそうな)。それを「全体の総意」と捉えたRinaが娘のことを「4人の1人として、仲間はずれにした人」と捉えているとのこと。(娘曰く)

なるほど…直接的に自分が言った訳ではないけど、誤解されている…的な?

誤解を解こうにも自分の話を聞いてくれないRina

誤解を解こうとしてRinaに何度もアプローチしたそうですが、どうやら向こうは頭に血がのぼっている様子。何度話かけても耳を塞がれたり、「友だちじゃないんやから話しかけんといて」と言われる始末。その上、その言い方がとてもキツイらしく、娘はその言い方だけでかなり傷ついているようです。

「そうかぁ…それは辛いなぁ。Rinaどういう気持ちなんやろう?」

「怒ってる…と思う。仲間はずれにされたって思ってるから。私はそんなつもりじゃなかったって言いたいけど、聞いてくれへんねんな…」

「怒ってるし、悲しいんかもしれんな」

「うん、たぶんそう」

「…ところで、Rinaが怒って去っていった時、○○(娘)は何もせんかったん?怒って行ったところは見てたんやんな?何かおかしいなって追っかけへんかったん?」

「私は…他の3人に引っ張られて、気持ちが。もう良いやんって感じで言われたから、追いかけなかった」

「そうかぁ〜。Rinaどう思ってたんやろうな?追いかけて欲しかったと思う?」

「たぶんね。でも、私はそれができなかった」

「そうなんやね。次同じことが起きたらどうする?」

「追いかけると思う」

「そっか。次同じことが起きた時はそうできたらいいね」

原因を探り続けたり、責任の所在の話ばかりしない、そして…待つ

オランダで子どもたちが学ぶところを観察して感じているのは「原因」や「責任の所在」を必要以上に探らないということです。これは、市民教育でも同じで、もめ事は起きるし、トラブルは生じるけれど、必要以上に「原因」や「誰に責任があった」ということにとらわれると、それが「原因究明の結果」にすり替わってしまうことがあります。

「もめ事は起きるし、トラブルは生じる。でも大事なのは、起きてしまったことは仕方がない。でも、次からどうする?ここからどうする?」なのです。

「どうしたら良いんやろう。お母さんならどうする?」

「うーん、お母さんならRinaが落ち着くのをとにかく待つかな。話しかけて"話したくない"って言われたら、とにかく話せるようになるまで待つ。PSP(ピースフルスクール)でも"まず落ち着いて"って習うやんな?」

「うん。でも落ち着いてくれへんかったら?」

「うん。だから落ち着くまで待つ。笑」

「あぁ、そうか…待てへんなぁ…落ち着くっていうより、"あっちいけ"とかそういうこと言われることで傷つく」

「あまりにも酷いことを言われて傷ついたら"その言い方は傷つくからやめて欲しい"って言っていいんちゃう?」

「そんなん言えへん…」

「無理して言わなくてもいいけど、嫌な気分がしたら嫌って伝えんと、向こうも○○(娘)が何が嫌かがわからんままで、続けることもあると思うで」

「そうやな…言い方がきついのは辛いねんな」

「とにかく、落ち着いてないと話はできひんよ。準備ができてないのに話をするのは逆効果やし。待ってあげたら?"あぁ〜まだなんやな〜"って。」

「うん、そうする。待てるかなぁ〜…」

誰かが傷ついた状況に無関心ではいけないということ

オランダでいじめについて学んだ時、いじめを見ていながらその場で何もせずに立ち尽くす人のことを"by stander"(傍観者)"と習いました。私が見た教材では、見て見ぬふりをしたり、その場で何もせず立ち尽くすのではなく「助けを求める」というかたちで傍観者を脱することができるのだということを子どもたちに伝えていました。

話を戻して、Rinaが傷ついてその場から怒って立ち去った時、娘は何もできなかったと言っていたのですが、

「追いかけて欲しかったRinaの気持ちもわかる」

と言いました。こういう状況で「誤解が生じている!!」と思った時は、いち早く行動できると良いかもねという話をしました。そして、できるだけ「助けを求める」というかたちで、傷ついた誰かに無関心でいることは避けたいね、という話をしました。

もちろん、9歳の娘にとって友人の間に挟まれてそんな判断をするのは難しい部分もあると思います。でも、誰かが傷ついている状況が理解できるのに「何も行動しない」というのは避けるべき判断なのです。「私が何とか仲をとりもたなきゃ!」という、ヒーローやヒロイン思想ではなく「(誰かに)助けを求めて何とかしなきゃ!」と思って欲しいのです。皆んなで集まって話し合えば何とかなるということを信じて欲しいのです。(もちろん、落ち着いてから)

自分から話しかけてみるのはどう?

「どうしたら仲直りできると思う?私は仲直りしたい。ちゃんと解決したい。私はそんなつもりじゃなかったんだよって知って欲しい」

と言う娘に、

「とりあえず、明日は"おはよう、Rina"って声かけてみたら?」

と言ってみました。

「それで、無視したり聞いてくれなかったら、ちょっと時間をおいてまた話しかけてみたらどうかな?ずっと怒ってるのってパワーがいるし、難しいし。お母さんはRinaがずっと○○(娘)と仲悪いままでいいわなんて思ってないと思うよ。2人はこれまで仲良しでやってきたし、2人ともめっちゃ素敵な子やんか。いつかはちゃんと仲直りしたいってお互い思ってるんじゃないかな?」

「話しよって言ってみたら良いんかな」

「そうかもね。他の子がいない静かなところで"Rinaは私にとって大切な友だちやから、話がしたいんやけど、何が起きてどう思ってるのか教えてくれる?それで、私の話も聞いてくれる?"って聞いてみたら?」

「できるかわからんし、聞いてくれるかわからんけど、やってみようかな」

「失敗しても良いやん。聞いてくれなくても良いんやで。トライしたっていうのが大切なこと。もし聞いてくれんかったら、聞いてくれんかったってまたお母さんに教えて。そしたら一緒に考えよう」

「うん…ちょっと安心したから寝られる気がする。お母さんありがとう」

それから、娘をハグして、涙目の目にキスをしておやすみと伝えたのでした。

小学生の悩みはこれで十分ヘビー

そんな話をした後、すぐに義則にどんな様子だったかを共有しました。私と娘の話ではなく「私たちのこと」にするのは、私たちに夫婦にとって同じ方向に向かって歩いていくためにも大切なことです。

「えぇ経験してるんやなぁ…っていうか、小学生の悩みなんてこれにとことん時間が費やせればそれで十分やし、この問題だけで十分ヘビーやんな」と。むしろこういった問題にフォーカスさせてあげて欲しい。

他にも宿題があるだの、勉強がどうだの、塾がどうだ、習い事がどうだ…だの…「それも大切やけど、明日の宿題できたん?」なんて一言を言わないといけない状態、悲しすぎる。
娘を見ていたら、人生においてとても重要なことに全勢力を費やして悩んでいるし、それで十分やん、と思ったのです。

「こんな(友人関係)のことよりももっと気にせないかんことがある」って脳が判断するとしたら、それは人間として成長する機会を失うとても憂うべきことなのでは?とも思いました。

そして同時に「お母さん、ちょっと話聞いてくれる?」と言った娘の横に寄り添える余裕。「明日も忙しいから勘弁してくれ」なんて思ったり、言ったりしなければいけないとしたら、それも悲しい。

小学生って全身全霊で考えて、悩んで、何とかしようとしています。そんな子どもたちの「今を生きる姿」をただ、そこにあるその状態をありのまま受け入れられるようにいたい。

今日は改めて、オランダの小学校に宿題がなくて、ドリル教材がなくて、塾通いがなくて、過度な習い事がなくて、子どもが子どもらしい悩み事に全力で向き合えることの尊さを感じた1日でした。

娘よ、悩み抜いてね。お父さんもお母さんも、そしてあなたの周囲の人たちも決してあなたの悩みに"by stander(傍観者)"にはならないから。

あなたが抱える問題に真正面から立ち向かえるとしたら、傍観者にならない人たちの支えがあってこそだと思う。
だからこそ、助けを求められたら、必ずそこにいるよ。
上手くいかなかったら、また一緒に考えよう!

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