今朝は母の命日。私の今の年齢で亡くなった彼女のことを考えながら、その年齢を超えられたことにも、ホッとしています。

今日は、母の命日。私の今日の年齢で、30年前、彼女は、この世を去った。 

今思えば、なんと若くで 亡くなったのか、と思う。 お葬式は、雪が降っていて、とても寒い季節だった。


今日が、母の命日であることを考えながら、 色々な想いが湧いて来た。


最近の、キーワードが 「人生のリセット」、「新しい経験」、「魂の願いに生きる」、とい

う言葉で、何か、見えない領域で、大きくエネルギーが 動いていることだけは、感じている。


そして、今日は、「もう一度、家族と生活する」という言葉が やって来た。


私は、十代で、家族と離れてから、それ以来、家族と住むということを、経験したことがない。

早く、家を出たくてしょうがなかった十代。やっと、大学入学で東京に行くという大義名分

で、家を出ることができたのが18歳。


それから、家族を作ることもなく、今に到っているということは、よっぽど嫌な体験が、家庭の中にあったと思われる。

子供の頃から、ある意味、魂が壊れるような それは 体験の数々だったのだと思う。

家族を作るというのは、家族と暮らすというのは、私にとって、安全でない、恐ろしい恐怖領域のことだったのだろう。

ただ、無我夢中で、家族と、離れることで精一杯だったとも言える。


 今になって、やっとわかってきたのは、母親が 精神を病んでいたということ。 病んでい

たと考えると、全て辻褄があってくるのだ。


子供の時の私には、彼女が心の病とはつゆ知らず、人生を嘆き悲しむ、大好きなこの人をなん

とか、幸せにするには、どうしたらいいかと、一生懸命だった。


今から、思えば、父親も犠牲者で、心を病んでいた彼女の 終わらない嘆きを聞き続けなければならなかった、彼も、気の毒な立場だったと思う。

でも、当時は、母が悲しむのは、父親が悪いからだ、と私は思い込んでいた。


要するに、今から思えば、父も母も、悪いわけではなく、二人とも、大変な状況を経験する運命にあったということだ。

私も、その運命の中にいたが故に、その影響で、家族と暮らす選択肢を避けてきた、という現実が今まではあった。

でも、これからは、家族と暮らすという 選択肢を選ぶこともできるわけだ。


運命の犠牲者になってたままで、 人生を終わることは、全くもって不本意だと思う。


自分の運命のルーツを、客観的に捉えることができた今、 それを、転換していくことも可能と言える。

母は、30年前の今日2月9日、この世を去ったが、私は、これから、彼女の年齢を超えて生きていく。

彼女と一緒に、自分の宿命、カルマを変換させて、さらに幸せに、長く生きていきたいと、静かに思えた。

彼女につないでいただいた、命であるがゆえに。

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