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体感で想像力を解き放つ

想像力。

人間に備わっているこの素晴らしい能力について、みなさんは考えたことがありますか?

想像力の素晴らしさは、「想像力のない世界」をちょっと想像(笑)しただけでわかります。 

想像力がなければ、新しい発明も生まれない。

想像力がなければ、未だかつて起こったことがないことを思い描くことができない。

想像力がなければ、立体感のない薄っぺらい表面だけしか見えない。

想像力がなければ、今ここで話をしている人の背景や、歴史の中の出来事の見えていない部分を広がりを持って認識することもできません。 

進歩や発展やクリエイティビティのない、狭く小さく乏しい人間、社会、世界になってしまいますよね。 

ものを作る作業では特に、想像力は重視されます。私の知っている建築家で中国でスケールの大きなテーマパークをデザインする人はいつも、「If I can imagine it, I can build anything. (想像することが出来さえすれば、何でも建築することが出来る)」と言っていましたが、細部を細かく想像している時、もうすでにそれは彼の中で、大方現実になっているのでしょう。

想像する能力は人間の成長にとって不可欠に思えますが、昨今の社会ではどうもそれはフルに活用されていないようです。

 何でも可能なはずの想像の世界の「なんでも」と言う幅が小さいんです。想像できなくなってきている。できなくなってきているどころか、「想像力」なるものが、「幻想」や「妄想」にとって替わられているようなのです。

想像力。

「テレビやビデオゲームの影響で想像力が乏しくなってきている」などと月並みなことを言うつもりはないのですが、「イメージ」がマインドに与える影響には、確かに否めないものがあると思います。でも、テレビや新聞を見ていなくったって、ネットの情報や広告、先生や親、友達の声は絶えず入ってきて、私たちのマインドに、ある一定のイメージを作り上げていきます。「いい気持ちにさせて」逃避させる「幻想」や、恐れを抱かせ不安にさせる「妄想」に囚われるようになってしまうのです。

たとえば、何かの悩みがある時、苦しさを回避して、ファンタジーなどの幻想に逃げ込んでしまったり、何も起こっていないうちから、起こりそうなことを「妄想」して不安になり続けることはありませんか?こうした「幻想」や「妄想」は、エネルギーを多大に使うので、想像する力はどんどん衰えていきます。幻想や妄想で刷り込まれたイメージを「想像力」だと勘違いして使っていると、自分の脳力だけでなく、観客や他人の脳力にも影響を与えてしまうのです。 

人間が想像する力は、人間には無限の可能性があることを認識させる能力、人類の最後の「希望」と言っても良いかもしれません。え?想像と幻想や妄想の違いがわからないって?それには、体感がヒントになります。 「幻想」の体感は、足が地についている感覚が薄くなり、「妄想」の体感は、体が硬く縮こまってしまい、頭の中意外、何も感じられなくなることもあります。「想像する」体は自由なもの。地に足がついていながら、自由自在に時空間を超えることができるのです。

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