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マトリックスへの一考

こんにちは。今日も元気でお過ごしでしょうか?

1999年にリリースされた『マトリックス』という映画を、覚えていらっしゃるでしょうか?このSF映画のテーマは、「コンピュータによって作られた仮想現実(マトリックス)を生きる主人公が、仮想空間と現実を行き来しながら、人類をコンピュータの支配から解放する戦い」でした。当時私は、キアヌ・リーブス扮する主人公ネオが、「目覚めるかこのまま生きるか」の選択を迫られる姿に、自分自身のジレンマを重ねたのを覚えています。

今私たちが生きている現実と思っているものが仮想なのかどうかはさておき、「人生ってなんとなく誰も大体同じようで、決まっているものなんだな。窮屈だな。」と感じている人は少なくないと思います。「人生はこんなもんなんだから」と教えられて、ささやかな抵抗をしながらも、なぜか窮屈になるばかりで、何かがおかしいなと思っても、「しょうがない」と言われ、疑問を持つことさえ封じられたまま、枠の中で人生を生き続けてしまう。マトリックスの枠というのは、押して押して、外に出たと思っても、自分はまだ中にいるという奇妙な構造をしています。

例えば、レールの上を歩いていて、そこから外れて「生きがいを求めたい」人は増えてきていますが、それさえも中に取り込まれています。「目標を持って、それに向かって行きなさい」などと教えられ、そうしているうちは、「生きがい」みたいなものが感じられるのだけれど、終わってしまうと空っぽになってしまう。そして再び目標を設定してそれに向かうというサイクルを繰り返して人生が終わる。

そもそも「目標達成に全力尽くすこと」自体がマトリックスの中なんです。とすると、一体どこからどこまでが枠なのでしょう?そして、どの枠をどうやって外していくのでしょう?

そんなことを考えて悶々としていた時期、自分が作る作品で、「演劇を演劇たらしめているルールを外していく」実験をしたことがあります。非常に新鮮でした。例えば、「役者はセリフを覚えて役を演じる」をやめて、「役者はセリフを覚える必要がなく、役を演じない」「台本のない演劇」、「演じる人がいない演劇」、「いつから始まっていつから終わったわからない演劇」「幕が開かない演劇」「何もやらない演劇」「観客がいない演劇」「終わりが始まりの演劇」「観客が照明をその場で作る演劇」などなど。観客や参加者も、その新鮮さに、驚きと喜びを感じていたようでした。私自身も、一見枠の外に出たすがすがしさでいっぱいでした。

しかし!

こうした「枠を破ろうとする」演劇は、新聞などに取り上げられた途端に「かっこいいギミック、新しい慣習」となり、主流に取り込まれたり、大衆の興味は引かなくても「崇高な芸術」として賞を与えられたり、結局は中に取り込まれてしまうんですね。

なんとかメソッドとかテクニックでも同じことが言えます。私が尊敬する先人の数々は、決してメソッドを作りませんでした。でも、その後にくる人が、教えを書き留めてメソッドにする。それを伝えるだけならまだしも、そのメソッドを学んだ人たちは、メソッドの専門家になり、「あれは正しい、あれは正しくない」という規定の枠の外に出られない。先生の意図はどうだったか、誰が一番それをよく知っていたかで争いまで始まるしまつです。もし先生が生きておられたら、全く教えていることをひっくり返したかもしれませんし、実際生きておられる先生も、自分が進化しているのに、生徒が昔に習ったことを、「あの先生のメソッド」として広めているのは、外に出たものを無理に中に押し込める感じでしょうか。メソッドを受け継いでも、そこを始点に再び枠を超えた発明、発想を膨らませていく方もいらっしゃいますが、少数派です。「制限の中で自由になる」というフレーズもありますが、本来「自由」が制限枠よりも大きくなり、枠を破ってしまう可能性を孕んでいるのに、最近では「制限はしょうがないから、その中だけで自由にやって」というニュアンスにすり替わっていること自体、マトリックスの中に引き込まれる力の強さを感じさせます。

ここまで、「枠」があるという前提でお話してきましたが、一体この「枠」は、本当にあるのでしょうか?『マトリックス』の主人公ネオは、「仮想現実」と「現実」との間を行き来することができましたね。そして自分が現実だと思っていたものが、「仮想」であると悟る。もし私たちが「現実」を作り出しているなら、今起こっていると思っている「現実」は「現実」でないかもしれない。あると思っているものは、ないかもしれない。固体だと信じているものは液体かもしれないし、気体かもしれない。現実はマインドが作り出している世界。

今まで「現実」だと思い、そこに自分を合わせてきたことに気づいたとき、マトリックスの枠はすでに出来上がった「揺るがない世界」の性質を失い始めます。そこに立ち現れてくるもう一つの世界に、私達は果たして耐えうるでしょうか?

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