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「何が正解なのかわからない」



自粛は要請するけど補償はしない

2020年4月8日。緊急事態宣言が発令された、まさに1日目です。
私は普段、飲食に関わる人々――料理人やソムリエ、造り手など――について雑誌や本などに書く仕事をしていますが、この1カ月あまりは取材の先々でこんな言葉をよく聞きました。
「何が正解なのかわからない」
それは絞り出されるような、とてつもない苦悶の言葉です。

なぜ苦悶するのか。
国も都も「不要不急の外出」を控えてほしいといいます。密閉・密集・密接の「3つの密」を避けよともいいます。
でも、補償はなし。

ここでいう補償とは借りるお金(融資)ではなくて、返さなくていいお金のこと。さらには、安心して休業できる補償のことです
一般に飲食店は、家賃、光熱費、人件費、開業費用の返済など、黙っていても出ていく一定額、それも大きなウエイトを占める額を抱えています。自粛要請によって売上が途絶え、補償もなければ、飲食店は生きていけません。


はっきりしない政策は、みんなの良心を傷つけた

〝感染するのも、させるのも避けるため、今はみんなで目を閉じる時〟と〝売上がなければ閉店は必然〟。
この矛盾する二つを、国も都も「強制はしないから、みなさん自分で考えて」と、良心に訴えて丸投げしてきたということです。

で、飲食店は「自粛への不信感」と「経営」の狭間で苦しみ。
お客のほうも「自粛の義務感」と「応援」の狭間で苦しみ。

お店は経営の問題もさることながら、その日の予約を楽しみにしていたお客がいる限り、とも考えたでしょう。お客はお客で、自分の勝手というより補償なき自粛要請への憤りと、個人でできる精一杯の応援として足を運んだ人もいるのではないでしょうか。少なくとも、私を含む周りでは多くの人がそうでした。

はっきりしない政策はみんなの良心を傷つけて、結果、誰もが「何が正解なのかわからない」事態になってしまいました。
安心して自粛できるイギリスやフランスの体制がうらやましい、という絶望感にも似た悲鳴を、取材先で何度も聞きました。


ほかの人たちはどう考えているんだろう?

書き手として、私には何ができるだろう?とずっと考えていたある日、イタリア料理店の店主から投げかけられたのが、「ほかの人たちはどう考えているのかな?イカワさん取材してよ」という言葉。
それは小池都知事の「自粛の強いお願い」により休業を決める店が増大した日で、この厳しいさなかに話を訊くのはとても無理じゃないかな、と答えただけでした。

とはいえずっと頭から離れず、SNSをのぞいてみると、やはり「何が正解なのかわからない」という言葉がタイムラインに溢れていたんです。

では、その後に続く言葉はなんだろう?と、拾い集めてみました。

「何が正解なのかわからない」
―だから、目の前にお客さんがいるなら全力を尽くす。
―たぶん誰にもわからないし、答はないのかもしれない。
―でも、僕は決めなきゃいけない
―とりあえず、生き延びるためにどうするか。
―正解がわからない、ということがつらい
―じゃあ何がいちばん大切か、優先されるべきか。
―営業するのも地獄、営業しないのも地獄。

みんなが知りたいのは、こういう部分なのかもしれないと思ったんです。刻一刻と変わる状況下では条件も判断もくるくる変わるけれど、道の途中で同じようにもがいている、仲間たちの声。
つまり「それぞれの」「今日の」答

その声を訊いていこう、という連載です。
初回は3名のシェフ、「リ・カーリカ」など3店舗を持つ堤亮輔さん、「TACUBO」の田窪大祐さん、「シンシア」の石井真介さん。
3名は、8〜9日にかけて順次アップする予定です。
以降は(なるべく)1日1人ずつアップ目標。

どうぞよろしくお願いします。

井川直子  naoko ikawa



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