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書記係・井川直子、6月1日の答。

―任務終了のお知らせとお礼―


ひと呼吸して、息を調えて

2020年6月1日月曜日。世の中が動き出そうとしています。
これまで休業していた飲食店も、次々と再開しています。
といっても「よし、いくぞ!」ではなくて、慎重に、キョロキョロと周りを見ながら、歩幅を小さくしての歩み出しといった感じですね。

5月25日に緊急事態宣言が前倒しで解除され、26日から東京都は休業要請の緩和をスタート。ステップ1として、飲食店は22時まで営業できることになりました。

その、わずか6日後の本日からステップ2に移行です。

感染者数は、ステップ1の初日から5日連続2ケタが続き、29日には20人超えの22人。昨日の日曜は1ケタに戻ったけれど、東京アラートなるものがいつ発令されてもおかしくない瀬戸際でのステップアップ
経済も「待てない」状況ゆえに、ギリギリのバランスを図りつつ、急いでいるというところでしょうか。

それでも一つ、句読点が打たれました。ここからどんな文脈になっていくのか予想はできませんが、誰もがひと呼吸して、息を調えています。

完全休業から再開する店。テイクアウトをやめて通常営業に切り替える店。しばらくは同時進行とする店。
一見変わったように見えない店――たとえば、緊急事態のなか粛々と営業を続けていた店。もう少し動かないことを決めている店――も、しかし気持ちの上では何かしらの句読点が打たれたのではないかな、という気がしています。

明日には消えてしまうかもしれない言葉たち

私が、「何が正解なのかわからない」をテーマにnoteで連載を始めたのは、4月8日、緊急事態宣言が発令されて1日目です。
その動機はこちらをどうぞ。

毎朝ニュースを見るたびに恐怖が大きくなり、実感になり、人々を支配していった時期でした。
新型コロナウイルスによるパンデミックという未曾有の事態に、答を先延ばしにし続ける国のリーダーたち。しかし現場のリーダーたちは、毎日「今日の答」を出していかなければいけません

noteでの連載は、書き手として何かできないか?と考えた、4月8日の私の答でもありました。

始めるうえで大事だったのは、単に「困っている飲食店の話を訊く」という趣旨ではないということ。書き手として、自分の仕事ではない気がして、動くことができませんでした。

そこへ飛び込んできたのが「何が正解なのかわからない」という言葉です。

みんな、正解がわからないから苦しんでいる。「だから……」という、その先を拾い集めようと思ったんです。
その人が、その日、だからどう考えて自分の答を出したのか。たとえ翌日に変わる答だとしても、です。
むしろ明日には消えてしまうかもしれないからこそ、書き留めておこう。何より私自身に、それらの言葉たちを訊いてみたいという気持ちが強くありました。


「正解」とは、誰にでも正しい答えじゃない

自分のなかで決めたのは、とにかく、さまざまな店主たちの声を訊くこと。
1日ごとに状況は変わるので、できれば1日1人目標(→達成できず。でも平均して1.6日に1人、上々)。
そのため、人生でこんなに早く書いたことがない、不完全でもごめんなさいのスピード勝負、という修業をこの2カ月弱ずーっと重ねていました。

ひたすら訊いて書くそのなかで、私自身だんだんわかってきたことや、考えが変化してきたこともあります。

まずは、あたりまえなんですが「飲食店の声」は一つじゃないということ。
たとえば補償(主に人件費と家賃の助成)についても、国に求める人もいれば、積極的には求めないという人もいます。

3月末から4月初め、緊急事態宣言もなく、補償の提示もないこの宙ぶらりんな時期が最も人々を分断したように思います。
だから店を開けざるを得ない人と、それは人道的にどうなんだという批判。
だから店を閉める人と、それは閉められる余力があるからだという論調。

しかし彼らを取材するうちに、さらにその奥に、小さな声があったことに気づきました。

補償を求める人でも、当然の権利を主張するというよりもリーダーシップを望む意味合いの方が強かったり。苦しいのは他業種も同じだけど、だからみんなで我慢するのでなく、「みんなで声を上げる」必要があるという矜持(きょうじ)であったり。

補償を強く要求しない立場の人は、国全体の財源、コロナ後の負担、もっと深刻な他業種への分配などを考えてのこと。また事業主として、大きなものに頼らない生き方の問題、という場合もありました。

いずれにせよ、いつ終わるかわからない不安のなかで、どっちに明かりが見えるのか、道を探していた紆余曲折。「正解」とは誰にでも正しい答でなく、自分で見つけた道標のようなもの、ということです。
つまり、まだ誰も辿り着いてなんかいないし、ゴールでもありません。


緊急事態宣言下の小さな記録

命より大事なものはない。その考えは誰もが同じでも、だから即、完全休業という考え方もあれば、そのなかで感染確率と経済のバランスを図ろうとする考え方もあります。

レストランか居酒屋か、大勢を雇っているのか1人か、1店舗か多店舗か。都心の繁華街にあるのか、郊外の静かな住宅街か、老舗か新店か。
そういった事情の違いで、状況も視点も変わります

今思えば、「違う」ということを書いてきたのかもしれません。
一店一店、一人ひとり、毎日違う、緊急事態宣言下の小さな記録。34人の証言です。

そして6月1日。
この段階にきて、国や自治体の補償が次々と発表されています。これに関しても、遅すぎる、ありがたい、トゥーマッチ、など意見は分かれるところではありますが。

それでも今、「何が正解なのか」で苦悶するときは過ぎたのかなという気がしています。
相変わらずコロナは終息していないし、ワクチンもない、第二波も予想されている。まったくおそるおそるという段階ではあるけれど、それでもみんな前を向いて「新しい生活」に対応しようとしています

ここで、この連載も役割を終えたと考えました。


誰もが「生きる」ということに直面した

あらためて、心からのお礼を伝えたいと思います。
取材どころじゃない緊急事態の真っ最中に声を聞かせてくださった飲食店店主のみなさま、彼らの言葉に耳(目)を傾けてくださった読者のみなさま、この活動に注目し応援してくださった媒体のみなさま、ありがとうございました。

どんな反響があるのか、という以前に、世の中に響くとか音沙汰なしとかも考えず、とにかく書き始めてしまった連載です。
途中、もしかしたら自分の勝手で、店主たちに残酷なことをしているのではないか?と自問自答したこともありました。

それでも、質問を挟む余地がないくらい語ってくれる店主が多かったり、取材の途中からだんだん声が明るくなっていったり。読者から「励まされる」というご感想をいただくたびに、逆に「そうか、彼らの言葉が、見知らぬ誰かを励ましているのか」と教えてもらって、もうすこし続けてみようかなと思いながら今に至りました。

私は普段、飲食店をよく取材しているので、東京のレストランを中心に、居酒屋、バーなどのお話を書きましたが、今回のできごとで、おそらく多くの人が「生きる」ということに直面したと思います。

生きのびるための健康、生きていくための経済、生きるために必要な人との関係。家の外の世界や人となるべく関わらない、削ぎ落とされた生活のなかで浮かび上がった、大切なこと
そういうことを感じ取って始める、これからの生活は、これまでとは違うけれど、いいほうへ向かうこともあるような。私自身は今日、そんな予感と期待を持っています。

2020年6月1日
井川直子

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