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28人のシェフたちが尊敬する『変わらない店』

雑誌『メトロミニッツ』の連載をまとめて一気に

今、東京をおもしろくしている飲食の人々――シェフ、ソムリエ、バーテンダーたち――が、昭和の店に目を向けている。そこに懐かしさなどではなく、むしろ新しさを感じ取っている。という動きに気づいて生まれたのが、2018年に上梓した『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)

フリーマガジン『メトロミニッツ』誌での連載「僕らが尊敬する 昭和のこころ」28回分(2016〜2018年)をまとめ、大幅に加筆したものです。
『メトロミニッツ』は毎月発行されるとまたたく間に無くなってしまうため、連載を「まとめて読みたい」という声にもお応えしての書籍化でした。

1970年以降生まれのシェフたち「僕ら」と、彼らが慕う「昭和の店」はこの通り。


【掲載店】僕ら―昭和の店 ※店名は取材時のまま
「ゴロシタ.」長谷川 慎 ―「重よし」
「カルネヤサノマンズ」ほか 高山いさ己 ―「冨味屋」
「ダ・オルモ」北村征博 ―「ビーフン東」
「メゼババ」高山 大 ―「オーボンヴュータン」
「サローネ トウキョウ」ほか 樋口敬洋 ―「イーハトーボ」
「レフェルヴェソンス」生江史伸 ―「鳥茂」
「フロリレージュ」川手寛康 ―「スリジェ」
「シンシア」石井真介 ―「一幸庵」
「ビストロ コティディアン」須藤亮祐 ―「その」
「ボルト」仲田高広 ―「支那そば屋 こうや」
「クリスチアノ」ほか 佐藤幸二 ―「ラ・ブランシュ」
「エスタシオン」野堀貴則 ―「三州屋 銀座店」
「傳(でん)」長谷川在佑 ―「共栄堂」
「焼鳥今井」今井充史 ―「埼玉屋」
「さいめ」嶋田寛元 ―「志ま平」
「マルショウ アリク」廣岡好和 ―「バッカス」
「HIBANA」永島 農 ―「丸千葉」
「ロッツォシチリア」阿部 努 ―「名曲喫茶ライオン」
「モンド」田村理宏 ―「銀座レカン」
「ボン・ピナール」進藤康平 ―「天茂」
「オルディヴェール」戸田健太郎 ―「ビストロ喜楽亭」
「祖餐(そさん)」石井英史 ―「コート・ドール」
「マルカン」川島けんすけ ―「大昌園」
「バー カコイ」大場健志 ―「魚竹」
「サンサ」橋本一彦 ―「赤阪砂場」
「麦酒屋 るぷりん」西塚晃久 ―「泰明庵」
「ジェム・バイ・モト」千葉麻里絵 ―「水口食堂」
「パドラーズコーヒー」松島大介 ―「マロ」

ジャンルレスな飲食店がひしめき合い、凌ぎを削る東京の飲食地図が浮かび上がるでしょうか。

弱さや迷いを、素直に見せてくれた

なぜ、時代の先頭を走る彼らが、昭和の店に足を運ぶのか?
その興味は、『昭和の店に惹かれる理由』(ミシマ社)を書くきっかけの一つにもなりましたが、『変わらない店』では、直接そこへ斬り込んでいます。

話を訊いていくにつれ、ちょっと驚くことが起こりました。
錚々たる彼らが、いつもは心の奥のほうに隠しているであろう、自分の弱さや迷いをするりと素直に見せてくれたんです


世界から注目を浴びるシェフも、東京の宝といわれるソムリエも、昭和からつづく大きな存在の前では一人の若造になる、ということなのかもしれません。

そして彼らの迷いは、畑違いの仕事をしている私自身の迷いにも重なり、気づけば昭和の店の言葉に救われている、ということもありました。
同じように、きっと多くの人が必要としている言葉だろうと思います。

章末の紹介文もぜひ

『メトロミニッツ』連載時と大きく違うのは、28人の「僕ら」と28軒の「昭和の店」について、新たに書き下ろした紹介文です。単なるプロフィールではなくて、なぜこのシェフの尊敬する店を訊こうと思ったのか、その理由がわかってもらえると思います。

『メトロミニッツ』での連載は2019年に終了。その後dancyu webにて『僕らが尊敬する昭和 next.』となりましたが、2020年3月に終了しています。

さて、試し読みは第1章。恵比寿のカウンターイタリアン「ゴロシタ.」長谷川 慎(まこと)シェフが尊敬する、日本料理店「重よし」です。

うまいものへの欲求と行動力は、山を求める登山家のごとき長谷川シェフ。日本各地も海外も食べ尽くしている彼が、驚愕したのは原宿の「重よし」の一品。「身が一かけらもないすっぽんのスープ」でした。

第1章「 本当にそれでいいのか?」 試し読み(抜粋)


手の仕事にしか存在し得ない何か

 流行りの言葉で言うと、泥臭い仕事になるのだろうか。
「重よし」では鰹節をその都度搔(か)き、練り胡麻は国産の胡麻を根気よく擂(す)り鉢であたり、すり流しの枝豆は露地もののうす皮をむくことから始まる。

 多くの若い料理人はこんなふうに思うかもしれない。
 何もそこまでしなくても。真空パックの削り節のほうが手軽だし、ハンドミキサーなら胡麻擂りもすり流しも一瞬。結果は一緒。
 それでも佐藤さんは、千人に一人でも違いがわかる人はいると確信している。
 その、一人に向けて料理を作っているのである。

「手の仕事にしか存在し得ない、何かがあるんですよ。安易な道に流れると、簡単な方法ばかり探すようになる」

 今、ガストロノミーの世界では調理法や機器が常に更新されていて、料理人もマスコミもみんなが飛びつく。早く飛びつかないと不安になる、と言ったほうがいいだろうか。知らないでは済まされない。だから長谷川さんだって、最前線といわれるスペインも北欧も訪れたのだ。

 だが彼曰く、そこに驚きと刺激はあっても、おいしさに結びつく感動はなぜかなかった。そして見回せば東京も、その軌道で走り始めていたのである。

「機械で作る味は、誰が作っても同じになるような気がして。それは結局、〝おいしいけど、ここじゃなくてもいい店〟になるってことじゃないのかなと」

 逆に自分自身の技術で作る味は、その店でなければ食べられない。つまり、代わりのない店になれるのではないか。
 大将はまさに、繰り返し繰り返しをつづけてきた、自分の積み重ねから考える。

 機械の前にできることはある。
 その在り方を、長谷川さんは「本質」だと感じた。料理の本質、料理人の本質。そう気づいたら、居ても立ってもいられなくなってしまった。

「このままでは終われない。僕にできる技術はまだまだあるはず。もっと上に行きたいと思うようになったんです」
 澄み切ったすっぽんのスープは、「本当にそれでいいのか」と若い料理人に突きつけたのである。

変わらない店_書影_帯無_180828


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