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断捨離と時短~そして衣がえ~

近頃、身近でも時々耳にするこの二つの言葉
とても苦手です

研究者は書籍や資料(データの時代になってもすべてはデータ化されないのですが、それが分からない方、伝わらない方が一定数いて時々どうしていいか分からないのですが)は研究をやめるまで=正気を失うまで、手元に残しておくもの
なので、私にとって二つの単語は自分とは遠く感じられるということがまずあるかもしれません

加えて、年に1回しか使わないようなもの、例えばお雛様やその時に使う器、クリスマスのデコレーション、その時だけの器、季節のお花の器なども私は手放そうとは思いません

もちろん白いお皿があればどんなお料理も食べられると言われたこともあって、なるほどそれも事実だとは思うのですが、QOLは人それぞれで私には無理だなと感じますし、何よりしようとは思えなくて

「時短」も同じ
もちろんお洗濯は自動で、お掃除もロボットが、あまり得意ではない部分は機会や人任せは素敵、お手伝いさんが雇えるならばお料理した後は全てお任せしてお掃除もお任せしたいくらい

お料理も時間がない時の電子レンジは便利。私も使います
でも毎日「時短」料理をしたいとは思えなくて
(少し前にTwitterでポリバッグに入れてこねて調理、そのまま食べられます!という投稿が写真付であって個人的には驚きました。被災した等ではなく、これで食べられる人もいるんだなと不思議に感じました。その方の自由ですが、私にはできないということもあるな、と)
時間がある時にはお菓子やクッキーを焼いたり、ことこと煮込んだり(最近あまりできていませんが)は楽しいと感じるので‥
お料理が嫌い、という人がしないのも自由、でも何でも「時短」しても仕方ないなぁとも思ってしまいます

お洋服も同じ
シーズンレスな服を最低限もって、選ぶ時間、入れ替える時間を「時短」するのもいいかもしれません。時間はきっとできると思います
ですが、私は季節を楽しみたいし、服の入れ替えや整理、クリーニングは時間も費用も手間もかかって大変でないとは言わないけれど、それ以上に楽しみが大きいなと思っています

そうすると時間は足りない‥
でも、その時間を削ったとしてもきっと足りないものは足りない
時間には限りがありすぎて、いつも足りないのだなと思うばかり

そんなジレンマを感じながらそろそろまた衣がえの季節
でも、この「衣がえ」ということば、素敵ではありませんか?
私は好きです

*注:写真は子供服です、私のクロ―ゼットではありません。念のため☺


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