見出し画像

鮮やかな記憶

 バスを降りると雨が降ってきた。雨どいに、道路に、透明な傘にリズムよく打ちつける雨音。時折り、道路上の薄い水溜りを弾き飛ばしながら車が通り過ぎて行く。撥水加工のスニーカーは大丈夫だがジーパンの裾は少しずつ藍色に染まっていった。

 病院に入ると高齢者で一杯だった。両親の薬を処方してもらう為、受付に保険証と診察券を渡した。窓口のナースもリハビリ担当のナースもいつも笑顔だ。そして先生も。母は病院に行く時、ほとんどしない薄化粧をしていた。歩いて行けている時も、車椅子で運ばれるようになった最近も変わらず。そこは、大人のサロンのような陽気さがあった。

 薬局に入る頃には午前11時を過ぎていて、ここにも人が溢れていた。その日は両親の入浴介助をする予定だったが、とても午前中に入れるのは無理だと思った。しょうがない、ゆっくり構えようか。消毒用のスプレーを入念に指に擦り付けた。そして、ウォーターサーバーの水を飲むと、冷たい潤いが喉を走り抜けた。

 人と密にならないよう薬局の外へ出ると霧雨に変わっていた。目の前には手を抜いた装飾をあしらった宮殿みたいな建物の2階建のふれあいセンターがあった。そこは、昭和40年代、木造平屋の公民館があった場所だ。


 私は子どもの頃、公民館であったそろばん教室へ通っていた。待ち時間に友達とブランコや鉄棒で靴を砂埃だらけにしながら遊び、敷地の横にある駄菓子屋さんで、チロルチョコレートやフーセンガムなどを買っていた。隣はヤクルトセンターで、同級生のまるちゃんのお母さんが働いていた。

 まるちゃんのお母さんは体調を崩したお父さんの分まで働く、笑顔が似合う肝っ玉母ちゃんだった。まるちゃんと一緒にセンターの中に入る事もあって、そんな時お母さんはヤクルトを奢ってくれた。当時の新商品、ミルミルを初めて飲んだのもここだ。甘酸っぱい味はまるちゃんのお母さんの記憶と重なりあって胸に息づいている。

 45分ほど待って、ようやく薬局を離れ実家へ向かった。ゆっくりした気持ちで歩くと、子どもの頃から通い慣れた道は、またもや記憶を鮮やかに再生し出した。友達とドッチボールをした広場(という名の駐車場)、バドミントンをしたコート(という名の近所のマンションの中庭)。母とお正月に刺身を買いに行った市場。今はシャッターばかりの寂れた市場。

 ふと目を引いたのは市場の野菜屋さんで咲き誇っている藍色の紫陽花だった。思わず手に取り、奥にいる店の人に声をかけた。エプロン姿のおばちゃんが「今が一番綺麗だもんね」と言いながら、ポケットからお釣りの小銭を取り出し「気をつけて持っていかんね」と、白いビニール袋に鉢を入れて持たせてくれた。


 実家の庭には昔、紫陽花が咲いていた。近所の人や親戚にも切り花を分けていた。私も貰ったが、うまく育てられなかった。そんな庭の紫陽花もいつしか枯れてしまっていた。椿の木も枯れてしまった。庭の手入れも出来なくなった今は、アイビーだけが命を輝かせている。

 呼び鈴を鳴らし玄関を開け、リビングへ上がった。薬と頼まれていたゴミ袋やお昼に食べるパンを水色のショルダーバックから出して広げた。そして、ビニール袋から紫陽花を取り出した。母の顔がパァーッと明るくなり「これは本物ね?作り物みたいに綺麗かね!ずっと紫陽花の欲しかと思いよったとさね!」とうわずった声をあげた。

 「母ちゃんは昔っから、花が好きやもんな。おいにもよく見えるところに紫陽花を置いてくれんか」と、父がそう言ったのが意外だった。父の視線の対角線上に母と紫陽花があった。じっと見つめるその瞳には、紫陽花を花瓶に活ける若かりし頃の母の姿がキラキラと輝いて写っているかのようだった。

 




 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?