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静かな世界

 ホール兼食堂に行くと夕食を待っている患者さんで溢れていた。食事カートを周りにぶつけないように運ぶ。窓の外には、垂れ込めた灰色の雲が山々を覆っているのが見える。夜勤入り、今日の勤務は始まったばかりだ。

 食事カートの扉を開けると右側が温かいもの左側は冷たいものと、ひとつのトレイで食事の温度が違う。引き出す時、時味噌汁がこぼれないように気をつけて配膳する。その様子を見ている患者さんの視線は、早く持ってきて!というプレッシャーをスタッフに与えてくる。

 その横で「今日は食べられないわ。もう堪忍してちょうだい」と、すえさんのいつものセリフが聞こえてきた。体重は四十を切り、食事介助しないと食べ物を口にしないすえさん。スプーンで野菜を口に持っていこうとするスタッフの手を払いのけて、彼女は叫ぶ。「もう、助けて!」食事はまだ四分の一も終えていない。


 「どうせ歳を取ったら汚いとやろう!」目を吊り上げて母は言い放った。両親と初ひ孫との対面に向けて、実家に行ってベッドのシーツを変えたり、カーペットを敷いたり、いつもより念入りに掃除をしていた。冷房をしていても汗が滴り落ちる。車椅子で自宅にいる九十になる母は、うまく紙パンツをあげられない。新しいズボンに着替えさせる時、母はそう言ったのだ。

 「そういう言い方をする事が汚いのよ!」私は言い捨てた。汚くてもしょうがないじゃない。生きるって老いていくもの。歳をとるのは綺麗事で済む話ばかりじゃない。身体機能は落ち、手は上がらず足も動かない。見えない牢獄に入れられているのと同じだ。それでも、汚れた身体は洗うと綺麗になるけど、一度出た言葉は消せない。澱のように溜まっていく。


 「食べてくださいよ。これ以上体重が落ちたら点滴することになっちゃいますよ!」「点滴をしてちょうだい、私はそれでいいから!」元気でいて欲しいと願う優しいご主人や娘さんの思いを振り切るように、すえさんは食べきれないと毎食ご飯を残す。まるで、生きる事を放棄しているようにも見える。いや、ただかまって欲しいだけなのかもしれない。


 全ての患者さんが、母の言葉の亡霊を纏って私に襲いかかってくるようで、私の意識は灰色に染まる。日頃なら見過ごしてしまう、すえさんの「助けて!」という甘えを含んだ声や、ずり下がったズボンからはみ出した紙パンツを見せながら歩いてる患者さんの存在が、指先に刺さった細い棘のように私にイライラとした痛みを与える。

 そんな時、患者さんの一人、のんちゃんが私に手を振ってくれた。会えて嬉しいと、まるで友達にでもあったかのような満面の笑顔。聴覚障害をもっているから言葉にはならない、擬音のような声をかけてくれる。ふいに口元が緩み身体が軽くなる。優しい気持ちが流れ込んできて、まるで陽だまりにいるような温かい気持ちになる。

 言葉も交わせないのんちゃんの笑顔は、いつでも私に元気を与えてくれる。彼女は幼い頃に両親と別れ、聾学校での生活、その後転々とした暮らしをした後、病院で暮らすことになった。自立、自分の事は自分でやるそういう強さが太陽の様な生命力を感じさせるんだ。


 消灯前に巡回をしていると車椅子に乗ったのんちゃんが、外を見渡せる窓のそばにいた。彼女は遠い山なみの下に見える家の灯り、車のヘッドライトが筋になって道路を走っていく姿を、両手で頬杖をついてただ黙って見つめていたんだ。私は声をかけるのをためらい、そっとその場に立ちすくんだ。

 窓から入る湿気を含んだ風が、頬にかかるのんちゃんの髪を揺らす。指で髪をかきあげる仕草が柔らかで、反射して窓に映るその姿が、まるで若い日の彼女の残像の様に見えた。

 


 


 

 

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