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海辺のカフェでコーヒーを

 映画【めがね】を観たせいだろうか。海が私を呼んでいる。いや、違うな。私は海が恋しくてたまらない。

 【めがね】の主な登場人物は5人。南の島に来た旅の女、タエコ(小林聡美)が主人公。旅館の主人と(光石研)常連客(市川実日子)、季節ごとにふらりと現れる謎の女(もたいまさこ)、タエコを追って来た青年(加瀬亮)の何をするでもない、たそがれの時間を映し出す作品だ。

 南の島の物語はまるでファンタジー。旅館からすぐの場所に浜辺があり、そこで朝から「メルシー体操」なるものを子どもからお年寄りまでやっているんだ。指導している謎の女、もたいまさこの存在感、主人公の小林聡美がだんだん島に馴染んでいく空気感がなんだか良いのだ。


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 そこで、海に行きたい私は、ひとりバスの旅に出た。海が綺麗な半島にいざ出発。独身の頃はドライブでよく行った海辺。昔は無かったオシャレなカフェができていると知って否応なしに期待が膨らむ。くねくね曲がる道の隣には青い海。脳内で角松敏生の音楽が再生される。もちろん、山下達郎も。

 バスを降りて砂浜で戯れる。丸い小石や流木を拾って部屋に飾ろう。海風が記憶の衣を纏い、優しく頬をすり抜けていく。昔の悲しい思い出も、涙をともなわない虹となってキラキラ輝いている。まるで合戦場が100年も経てば、観光地になったように。時の流れはみんなに優しいね。


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 しばらく歩くと海から道路を隔てて80メートルの場所にカフェがあった。有機栽培のコーヒーと、出来たてのシフォンケーキをオーダーする。こじんまりとした室内は可愛い。外には海が見えるテラス席があり、そこで頂くことにする。うん、贅沢な眺め。大貫妙子の曲が店内から聴こえてくる。

 本は持ってきた。石牟礼道子「椿の海の記」。素敵な詩人さんなんだ。

 春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。海の香りとそれはせめぎあい、不知火海沿岸は朝あけの霧が立つ。朝陽が、そのような霧をこうこうとそめあげながらのぼり出すと、光の奥からやさしい海があらわれる。

 言葉ひとつひとつがきらめいている。


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 数ページ読んで、ブラックコーヒーを飲む。すっきりとした喉越し。まるでビールのコマーシャルみたいな感想に、ひとり苦笑い。シフォンケーキも柔らかく優しい味だ。柔らかすぎて、お皿の上でおじぎをしているような姿になっているのもまた、いとおかし。

 テラス席の椅子は、小学校で使われていたであろう小さな椅子。海辺の雰囲気に似合って不思議と硬さは感じない。ねぇ、身体の歪みは人の手で癒してもらうよね。心の凝りは、目の前に広がる澄んだ海と、トンビの鳴き声が混じる波しぶきの音と、美味しいコーヒーとケーキに溶けてしまったよ。

 遠い何処かには行けなくても、海を見れるだけで良かった。自然の精気を抱きしめられたから。また違う景色が見える場所にひとりバスの旅に出よう。いつか行こうなんて、それは、確定された未来ではないのだから。


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