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【英国で習った園田エイサー|琉球新報 落ち穂⑥ 2020年9月23日掲載】

(これまでに執筆した記事を振り返っています。)
首里に拠点を移して1年になるが、生まれ育った沖縄市やこれまで住んでいた宜野湾とは、同じ沖縄でも全く雰囲気が異なる。昨年の夏は欧州へ里帰りしていたので、今年初めて首里で旧盆を迎えた。今帰仁の仏壇がある家は親戚に貸しており、旧盆の時は家を開けてもらうが、今年は緊急事態宣言が出されていたため、事前に墓掃除や墓参りを済ませ、旧盆はリモートで先祖を迎え、ウートートー(お祈り)した。  

長く海外に住んでいたこともあり、遠く離れていても祈ることによって、いつでもどこにいても先祖と繋がれる気がする。しかし、今年はなぜか寂しい。心にぽっかり穴が空いたようで、その訳を考えてみると、この時期どこからともなく聞こえてくる三線や太鼓など、エイサーの音が聴こえてこないのだ。当たり前で普段は気づかないが、無いと初めてその大切さが分かることがある。

20年以上前になるが、英国に移住して初めて数年ぶりに帰国した夏、夜、散歩をしていて遠くから微かに聴こえてくる三線の音色に、思わず涙した。遠く離れた郷里への想いが三線の優しい音色に、溢れ出したのだろう。エイサーをやってみたくなって友人に話すと、年齢制限があると言われた。高校や大学生の頃にエイサーを習う機会はあったが、当時は全く関心が無く、習っておけば良かったと後悔した。

その後、2005年に園田エイサーがロンドンのテムズ・フェスティバルで大トリを務め、エイサーのワークショップを開催した。以来、ロンドン沖縄三線会はエイサーチームがあり、年齢制限無しで子供からシニアまで参加している。私は地元沖縄市の園田エイサーをロンドンで習った。当時5歳でエイサーを始めた友人の息子が青年になって沖縄を訪れたが、彼は創作エイサーよりも伝統エイサーが好みだという。昨年、英国沖縄県人会が再び園田エイサーを招聘するなど、ロンドンと沖縄市はエイサーでの繋がりがある。そのため、旧盆は三線の音を聴くとエイサーを踊りたくなり、沖縄で聴く英国の音楽や英語の訛りは第二の故郷を思い出し、私の心を揺さぶるのだ。

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