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聴くってどういうこと?

聴くということについて考えてみました。

奏法を変える時に、耳の使い方というか、聴き方を変えるために一生懸命聴いていた時期がありました。まるで「聴こえないものを聴きに行く」雲を掴むような感覚でした。つまり「自分は響きを聴けていない」というところからスタートしました。自分は聴けているのか聴けていないのかを考えていた時期は確かにあったことを、思い出しました。
で、今になって思うのは、聴けているかどうかは他者と擦り合わせできないことかなと思います。
もし仮に、他者と自分が同じような聴き方をしている、もしくは同じような感覚で響きを聴けていたとしても「この響きは美しい」って表現する人もいれば、「この響きは色を感じる」と表現する人もいます。言葉のチョイスが違うので、擦り合わせは難しいと思うんです。

ただ、演奏する上で「もっと音の減衰していくところを聴く」とか「音の伸びを聴く」とか、音楽を学ぶ過程で「意識を向けていなかったところを聴く」とか「聴こえなかったことが聴こえてくる」とか「感じられていなかったことが感じられるようになった」という意味で聴き方が変化することはあると思うのです。

日々の生活の中で鳥の声が聞こえてきた時は「鳥が鳴いてるな」と思うと同時に季節を感じたり、その場の空気感とか、何かしら感じとることもありますよね。私だったら青森の家のリビングを思い起こします。山からいつも鳥の声が聞こえていたので。
そんなふうに、鳥の声を聞くことで違う場所や過去を思い出すこともあるように、音楽の響きを聞くことで何かしらの感情や感覚が呼び起こされることはありますよね。
ただ、1つ確実に違うのは、演奏は先に進まなければいけませんし、自分自身椅子に座って弾くという行為をしなければいけないので、日常生活の「聞く」と演奏中の「聴く」が全く同じ何かといったら、疑問が残ります。
また、演奏中は全身で感じている感覚がありますが日々の生活で聞いこえる音を「全身で感じる!」とまではなかなかいかないですよね?だから「聞く」と「聴く」は同じではないかなと今書いていて思いました。
でも私が推奨するのは、普段から極めて聴くに近い身体感覚でいることです。そうすると目の前の世界が味わい深いものになると思います。
ゆっくりとお茶一杯を味わうことは「響きを聴く」に近いかなと思います。

乱文失礼しました🙏

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