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僕らが古典を学ぶ理由

中学校、高校の国語の時間に古典を学びました。
昔の日本で使われていた言葉や用法を細かく調べ、内容を理解しました。

僕は国語が好きだったので、古典の授業は楽しかったです。

でも、周りでは
「どうして古典なんかするんだろう」、
「受験以外で使わないから意味ないだろう」
などネガティブな意見もありました。

確かに、「今使われていない言葉を一生懸命覚えても仕方がない」

そんな風に思うこともありました。

「昔の言葉を学ぶことで、今の言葉の成り立ちを知る」、「時代の中でどんどんと無駄なものが削ぎ落とされ、言葉やリズムが整えられた美しい文章を読む」など、学ぶ理由は様々であると思います。

でも、これだ!と自分の中ではっきりと言うことが出来る理由は見つかっていませんでした。

しかし、大人になって、古典を学ぶ理由が何となく分かった気がするので、今回はお伝えしたいです。

僕らが古典を学ぶ理由、それは、



「古典を読むことで、過去から学びを得るため」

だからだと思います。

これは、社会の時間に歴史を学ぶことと似ている気がします。

古典の中には昔の人々が教訓として得たことがたくさん書かれています。そして、その内容は普遍的なものが多く、現代にも通ずる考え方なのです。

例えば、
平家物語の
「祇園精舎の鐘の音〜」から始まる文章では、

「どれだけ勢いがあるものも、必ず終わりがくる」
ということを教えてくれています。

また、「徒然草」の「仁和寺にある法師」では、

「少しのことでも先導者は欲しい」ということを伝えてくれています。

(解釈が間違えていたらすみません)

どちらも言われてみればそうだけど、ついつい忘れてしまう大切なことです。

昔の人々もそれらが大切だと思い、書き残していった。そして、時代が変わってもその内容に多くの人が共感し、大切だと思った。

だから現代でも有名な古典は残っているのだと思います。

「人間の普遍的な悩み」や「どの時代でも大切なこと」

これらを学ぶためにも、僕らは古典を学んだんだと今は思います。


くそー!!
もっと早く知っていればと少し後悔しています。

やはり、



少しのことにも先達は欲しいものです笑

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!

(ヘッダー画像はお借りしました、ありがとうございます)

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