ほんとうのあなたは永遠の意識。
何が起ころうと私は自分に起こっていることを観ています。
言い換えると、気づいているのです。
私が苦しみから解放されたのは、「心と体は自分ではない」ということを知ったからです。
私はよく「あなたはぜったいに大丈夫」と言いますが、
これは意識そのものである「本来のあなた」は不死であり、永遠であるからなのです。
今、キーボードで文章を打ち込んでいる──普段、Naokiと呼ばれている男の心の動き(泣いたり、笑ったり)をただ「見つめている」意識が「本当のわたし」なのです。
そして、この意識はどこにも行きません。
世界中──宇宙中に行き渡っています。
たった一つの意識です。これがワンネスなのです。
この「気づいているただ一つの意識」には形がありません。
透明で、
重さもない
ただの静寂なのです。
それは「ただ在る」のです。
〇
私はよく「感情を受け容れる」とお話ししたり、
「どんな苦しみも避けずに、ただ受け容れる」と書きますが、
悲しみや苦しみを受け容れている存在は一体誰なんでしょうか?
それはあなたの心ではないはずです。
なぜなら、心そのものはただ単に悲しんでいるからです。
では、悲しんでいる心といっしょにいるのは、誰ですか?
「わたしは今、悲しいんだな」と気づいているのは誰ですか?
悲しんでいる心と
それに気づいている意識を同一化しないでください。
〇
あるいは、あなたは「思考に気づいた」ことがあると思いますが、
「思考に気づいた」のは誰なのでしょうか?
それは思考ではないはずです。
なぜなら思考は思考していたからです。
一瞬、あなたは「ああ、また考えていた」と気づくわけです。
すると、思考がなくなります。
いずれ、また思考が湧いてくると思いますが、
思考がなくなった瞬間、静けさがあったはずです。
その静けさそのものが「本当のわたし」なのです。
実はその静けさは、ずっとそこにあったのです。
思考に覆われていたせいで、気づかなかっただけです。
〇
静かにくつろいで座り、自分に優しくするように呼吸してください。
思考がやってきたら、ただそれに気づく。
感情が湧いてきたら、感情といっしょにいる。
アイロンがけをしたり、食器を洗っている時に「やさしい気づき」を伴いながら動作をするのです。
「気づかなくちゃ」という努力をしないことです。
内側に静けさを伴いながら、くつろぎながら行為をすると、自然と気づきやすくなります。
自分に優しくしながら気づくのです。
やがて、あなたは知る事でしょう──
「私は心ではない!」と。
それは天啓であり、永遠の救済です。
〇
私たちは「本来の自分」を忘れてしまったのです。
心を自分だと思っている時、そこには苦しみしかありません。
心は自責、他責、後悔、不安、恐怖、を抱えています。
そして、あなたは心ではないのに、思いっきり、心と同一化しているのです。
心を突き放すことができるようになれば、
本当の自分が「気づきそのもの」である不動の意識だと知れば、
もうそのひとは大丈夫なのです。
静けさそのものであるこの至高の意識。
これだけが実在です。
心を信用しないでください。
「わたしはもうダメだ」
と思っている心に気づくのです。
良いですか?
「本当のあなた」はダメになることなんてないのです。
なぜなら、あなたは形のない、透明な意識なのですから───
〇
そして、気づくことができたら、
心の動きを観ることができたら、
気づきそれ自体に気づいて下さい。
観ている意識、それ自体を観て下さい。
外側に向けている意識を内側へ──背後に向けるのです。
それができた時、あなたは「気づこう」という意志も、「観よう」という意志もなく、
ただ、静かな「在る」になります。
あなたは全てのことから自由になり、永遠の至福──歓喜、平穏に包まれます。
お金や仕事ではありません。それらは一時的な──仮初の安心をつくりだしますが、絶対ではないのです。
ほんとうの幸せ者は「静けさそのもの」として、ただそこにくつろいでいるひとのことです。
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