その調子で進みなさい、と宇宙は言っている。
昨日の記事を投稿したら、ありがたいことに何人かの方からサポートをもらった。そして、僕は直感的に、このまま続けなさいと、宇宙から言われているような気がした。
今日は、仕事について書きたいと思う。
普通、仕事を得ようとする場合、元々、持っているスキルや資格をもとに求人を探すことになると思う。
僕の場合は英語になる。僕は一応、大学で英語を専攻し、留学もしていたので、英語を仕事にすることはできるはずだった。
でも、それを仕事にするために、いざ、企業に就職しようとすると、ハートが閉じる感覚があった。身体が固まる、というか、何かがちがう、と思ってしまうのだ。
この頃、思うことがある。
過去に自分がやってきたことやスキルを生かしてお金を稼がなきゃ、と思うと、苦しくなる、ということだ。
ほんとうの仕事━━魂の仕事は自分の思考では想像もつかないところに転がっているのかもしれない。
たとえば、僕の今やっている発信や対話活動が、最近、仕事になるんだよ、と色々な方に言われるようになった。これは僕がまったく期待していなかったことなのだ。
少なくとも、僕の頭では予想していなかったことである。僕の頭が予想していたのは、自分の持っているスキルや資格を使って仕事をしなくちゃいけない、ということだった。
でも魂=ハートで望んでいたのは、全く別のことだった。
ちなみにそれで生活していけるかどうかと言うのはまだ分からない。一般的なビジネススタイルではないから。だから、保証なんてない。
でも僕のハートのガイダンスは「よし、それでいいぞ、そのまま進みなさい」と言う事を静かにささやいている。
ひとは記憶や常識を元に行動してしまうのだと思う。
「〇〇の資格があるから、これを生かさなきゃ」と必ずしも考える必要はないと思う。
まさか、こんなことでお金をもらえるの?と思うことがそのひとにとってぴったりの仕事だったりするのかもしれないな、と思う。
資格と言うのは、お金を稼ぐ目的のために嫌々、取得したものだったりする。でも、そういう場合、それを活かそうとして、無理やり活きたとしても後々、苦しくなるのではないだろうか?
一方、ヨガが好きで、ヨガに救われたひとが、ヨガを広めたい、と思い、お金になるかどうか分からないけれど、ヨガティーチャーの資格を取る、というのが自然な資格の取り方だと思う。
最近、「もしかして、僕は大丈夫かもしれない」と思うことができるようになった。
それには根拠はない。ただハートが「大丈夫だよ」と言っている感覚がある。
ハートを生きるということは人生を最大限に生きるということだ。
正直に言って、知らないひととzoomで対話したり、まして、オフラインで直に会ったりするのは、こわい。緊張でブルブル震えることがある。
でも、こわいことに向き合っている時、「生きている」という実感が湧く。大げさに言うと、自分の宿命と真正面から向き合っている、と感じる。
きっと、僕は「生きたい」のだと思う。
お金は二の次で、生きたい、と思っているのだ。無難に生きたくない、生き切りたい、のだと思う。いのちを使い果たしたいのだと思う。
中学生の頃、不登校だった。就活の時、インターンをした際、自分は社会に適応できない、と絶望していたけれど、既存の、社会一般的な生き方ではない生き方がある、ということを最近、いろいろなひとと出会って、知った。
去年の今頃、スピリチュアル・カウンセラーをされている還暦の男性のセッションを受けた。
彼も二十代の頃、僕と同じで会社に馴染めず、うつ状態になって退職したけれど、セラピーを受けて回復したので、三十歳になった時、それを仕事にしたい、と起業して以降、ずっとカウンセラーをつづけてきた。
彼は僕に「わたしも三十年やってこられたんだよ。だから君もこれだ!と思うことをつづけてみてごらん。きっと宇宙が応援してくれるから。実際ね、わたしも今までやってこれたのは不思議なくらいなんだ。臆病者のわたしが個人事業主としてひとりでやってこれたのはね。でも、少なくともわたしは今までやってこれたんだ。それはどうしてだと思う?」
僕「……」
彼は胸に手を当てて、こう言った。
「ここだよ。ここを信頼して生きてきたんだ。だから、あなたのハートを信頼しなさい」
記事のサポートをもらった時、「あなたがやっているのはイイ感じだから、つづけなさい」と言われているような気がした。
それもサポートをくれたnoterさんから言われたというよりは、noterさんを通じた宇宙そのものから言われたような気がしたのだ。
宇宙は直接メッセージをよこさない。それは必ず、誰かを通じてよこすのだと思う。
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行動する時に「こわい!」と感じる場合、多くのひとは恐怖や不安と一体化していると思います。
今度、それらの感情が湧いてきたら、それに意識的に気づいてみてください。「ああ、今、わたしはこわいと感じているんだな」と気づいている状態と、ただ漠然と不安や恐怖と一体化して、身動きが取れなくなっている状態にはちがいがあります。
前者の場合、感情と本来の自己を切り離して客観的に観ています。すると、恐怖に縛られずに、より自由な行動や新しい決定ができるようになるかもしれません。
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