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音楽関連書紹介「イエスが愛した聖女 マグダラのマリア」(マービン・マイヤー、エスター・A・デ・ブール著 藤井留美、村田綾子訳 日経ナショナル・ジオグラフィック社)

あるとき、急に気になった。
マグダラのマリアって何者だ?
聖母マリアとは違う。

バッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」では、イエスが十字架にかけられる場面、そして墓の場面まで付き従った女性たちの一人として登場する。ユダの裏切りの場面の前に、イエスに香油をかける女性もマグダラのマリアとされている。
ロイヤル・バレエで最晩年のケネス・マクミランが振付した性的暴力の描写がショッキングな作品「ユダの木」では、嫉妬と悪のきっかけとして一人の美しい女性の存在にマグダラのマリアが含意されている。
プッチーニのオペラ「トスカ」の最初の場面で、画家カヴァラドッシが描いているのはマグダラのマリアである。恋人である歌姫トスカが、そのモデルとなった金髪碧眼の美女に嫉妬したことが、悲劇の引き金になる。

芸術史におけるマグダラのマリアのさまざまな姿を探求する前に、そもそもどういう人物だったのかを原典から探ってみることが必要だろう。
本書では、新約聖書に収められたマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四福音書(つまり正典)のみならず、19~20世紀にエジプトなどで発見された写本によるペトロ、マリア、トマス、フィリポなどの外典福音書、さらには初期キリスト教と関係の深いマニ教詩篇集などから、マグダラのマリアに関連する部分を中心に読むことができる。

これを読むと、従来の新約聖書では語られていなかった、初期キリスト教の多様性と豊かさ(いわゆるグノーシス主義)が浮かび上がってくる。

「完全なる者たちは、接吻によって身ごもり、生み出す。だから、私たちも互いに接吻しあうのである」という記述を含む「フィリポの福音書」などは、人生における口づけという行為に重要な意味を負わせており、このあたりの配偶者間の愛情についての記述は、現代人にとっても含蓄深い。
なぜ婚礼が存在するのか、夫婦の寝室における光とは何か、といった記述も面白い。グノーシス主義が多くの人を魅了するゆえんである。

ここに描かれているマグダラのマリアは、イエスの受難に最後まで付き従い、その復活を最初に目にする重要人物というだけではない。
彼女はイエスから特に愛され、しばしば接吻された知的な女性であり(伴侶であったかもしれない)、初期キリスト教における女性指導者であった。その偉大な洞察力に男の弟子たちは嫉妬し、特にペトロは憎しみの感情さえ持っていた。それに対して怯え悲しむマリアの描写も真に迫っている。マリアは言う。
「私はペトロを恐れています。なぜなら彼は私を脅し、私たちの性(ジェンダー)を憎んでいるからです」

聖書だけが正典とする考え方からすれば、こうした外典福音書は異端に過ぎないのだろう。しかしこれらはかつて、れっきとした影響力をもっていた。その記述の真実味と暗示的な美しさには抗しがたい魅力がある。
イエスの受難の悲劇に関心ある人は、きっと面白く読めるはずである。他にも類書が出ているので、今後もリサーチを続けてみたい。

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