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「走れメロス 太宰治」【6/16執筆】

↑青空文庫なので0円で読めます、オススメ


「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」の有名な冒頭部分から始まり、「どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」の王様の発言で終わる。

主人公たちの正義的な働きかけによって、悪役が最後には心を改めるという、物語としてはテンプレートのような起承転結である。

どこにでもありふれたストーリーであるにもかかわらず、心を動かされるのは何故だろうか。

それはやはり、メロスの奔走、自身との葛藤、セリヌンティウスとの友情などが、第三者の視点から迫力満点に語られているからだろう。

私たちは、主人公のメロスに感情移入し、心からメロスを応援し、時に励まし時に怒り、喜怒哀楽を共にしさえしてしまうのだ。


私たちは、メロスの実直さに心打たれるのである。

東郷克美「『走れメロス』をめぐって」(『国文学 解釈と教材の研究』、昭和三十八年四月)の中で、「『走れメロス』とは対照的に、『駈込み訴へ』に形象化される。」の記述があり、私は同意する。

信じていること、信じられていること、の双方向的な信頼関係が結実した『走れメロス』と、信じることができずに裏切ってしまうことから生まれる罪の意識が表出した『駈込み訴へ』は、裏表の関係であろう。

また、東郷氏は、「太宰の文体は『走れメロス』的世界と『人間失格』的世界をゆれうごいていたのだ。メロスと大庭葉蔵は太宰の双生児なのだ。」とも述べている。

『人間失格』との比較によって、太宰の文体からも物語を眺めることができる。太宰の中にある陰陽の感情のうち、陰が『人間失格』であり、陽が『走れメロス』であることから、太宰の中にも「信じる。信じたい。」という感情の存在がうかがえる。

『走れメロス』は、『駈込み訴へ』や『人間失格』と異なり、作者の中の明るい感情を表現したものであり、つまるところそれが今でも多くの人々の心を動かしている要因だと気付かされるのだ。



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