「竹青 太宰治」【6/30執筆】
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結末に「自註。これは、創作である。支那のひとたちに読んでもらいたくて書いた。漢訳せられる筈である。」とある。
サブタイトルには、「――新曲聊斎志異――」とあり、冒頭では「むかし湖南の何とやら群邑に」とある。
支那、今で言う中国の人達に向けて作られた物語であるため、本文の至る所に中国の雰囲気を感じる描写の多くあることが読み取れる。
『清貧譚』もまた、聊斎志異の中の一遍を元にしているため、両物語とも空想的な世界観の中に惹き込む魅力を持っている。
農夫が魚容に向けて言った、「人間万事塞翁の馬。」という発言では、中国の故事成語をまさに用いており、中国色の強い物語であることが窺える。
烏と人間の物語は、馴染みがなかったが、烏視点はとても新鮮であり、非常に面白さを感じながら読みすすめることができた。
奥野健男「解説」(『お伽草紙』、新潮社、昭和四十七年二月)では、
「『清貧譚』と同じ『聊斎志異』からヒントを得たものであるが、太宰の空想は鳥のごとく大空に翔いている。戦禍と占領の苦難の中にいる中国の人々に、どうか現世の生きる希望を失わないでくれと贖罪の心を潜め祈るような気持で書いた作品のようにぼくには思われる。」
と書かれており、『竹青』の初出年を見る限りでは日中戦争のことを言っていると思われる。
なぜ、作者は『竹青』を支那の人々に読んでほしかったのか。
このことを明らかにすることで、『竹青』の主題が見えてくるだろう。
『竹青』は、最終的に人間界に戻り、故郷へと帰る場面で終わる。
祝振媛「太宰治と中国――太宰の『竹青』の中の郷愁の世界を中心に」(『国文学解釈と鑑賞』、平成十年六月)では、「太宰作品のなかの主人公にとって、唯一の郷愁から脱出する方法は作品の結末のように脱俗の姿をしないで、故郷の風土と一体化することである。」とあり、魚容は故郷の風土と一体化し、人間界に舞い戻ったのである。
奥野と祝の意見に、私は同意する。
『竹青』では、魚容の人間界からの解脱、故郷との一体化、人間界への復帰を描くことで、中国の人々に人間界の尊さと儚さを同時に伝え、本来の故郷、人間界を思い起こさせ、勇気づける意図が隠されているのだろう。
これが、『竹青』の主題であると同時に、日本人の作者の贖罪でもあるのだ。
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