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障がい児の子育ては、がんばると失敗する


「あなたのためにこれだけ頑張ってるのに、なんで言うことを聞いてくれないの?」

子どもに対してそんな気持ちを抱いている時期がありました。

自分の時間もやりたいことも犠牲にして尽くしているのに、その気持ちをわかろうともせずマイペースにわがままを押し通そうとする子どもの態度に憤りを感じていたのです。

我慢の限界を超えたときには子どもを大声で叱ることもあり、泣かれてしまうこともありました。

当時、このような親子のやりとりはある程度「しょうがないもの」だと認識していたように思います。




しかし、言うことを聞かない子どもを大声で叱ったところで子どもの行動が変わるわけでもなく、自分の気持ちが晴れるわけでもありません。

むしろ叱っても行動が変わらない現状を目の当たりにすることで育児への不安を募らせるとともに、子どもに対する罪悪感や親として頼りない自身への自己嫌悪が膨らむばかりでした。

今なら、当時の子どもは親を怒らせたい・我を押し通したいと思っていたのではなく、単に状況が理解できていなかったのだと考えることができます。

僕の言動内容を子どもが理解することは能力的に難しく、本人が努力したとしても配慮した行動をとることはできなかっただろうと思えるのです。




「あなたのために頑張っているのだから、こっちの気持ちも察してほしい」

親の気持ちを理解する能力がない子どもに対してそう考えることに疑問すら抱かなかったのは、僕が努力していたからです。








脳科学者で医学博士でもある中野信子さんの著書「努力不要論」で、彼女は「努力は人間をスポイルする(ダメにする)」と述べています。

「努力」に対して時間をかけたり自身に負担をかけることだというイメージを持っている人は「努力は報われる」という考えを持ちやすく、「自分はこれだけしたんだから許される」という言い訳を無意識の脳で行ってしまうのだというのです。

そういう人は倫理的に悪いことをする傾向が高いという研究もあり、頑張るというのは自分のことを見つめる目を失わせることなのだといいます。





子どものために頑張っているのだから、大声で叱ることはしょうがない。多少のショックを与えたとしても許されるだろう。

努力は必ず報われる。僕の努力に報いるために、子供はその期待に応えようとするのが当然だ。

そんな気持ちが心の片隅にあったことを、今は否定できません。

僕はただ育児に苦労している状況を「努力している」ことだと勘違いしていたのです。





当時の僕はただやみくもに子どもの求めに応じ、遊び相手になったり好きな場所に連れて行っていました。

自分のことを後回しにしてでも子どもの要望に100%応えようとすることが努力だと感じていたのです。

その行動によって一時的な子どもの満足と生活の平穏は得られるのですが、状況は何も変わりません。

それでもまだ、子どもに尽くしている自分は正しい、いつか報われるはずだと思い込んでいました。





「努力不要論」では努力について「苦労すること=努力」ではないと述べています。

真の努力とは本来成果を生み出すために必要な ①目的を設定する ②戦略を立てる ③実行する というプロセスを踏むこと。

目的と、それを達成するための戦略を立て、タスクを一つひとつ処理していくことが本来の「報われる努力」だというのです。










ここで僕は初めて育児の目的について考えることになりました。

その結果たどり着いた答えは

「人の助けを借りながら、できるだけ自立した生活ができるようになってほしい。そして自分が亡くなった後も幸せに暮らせるようになってほしい」

というものでした。



その目的を達成するためにもっとも現実的な戦略が「療育のアウトソーシング」だと考えたのです。
(療育のアウトソーシングについては下記リンクへ)










障がい児の育児は手がかかる上に成長への手助けが必要なことから、親は「がんばるモード」になりやすいのではないかと思います。

この心の動きはもちろん子どもへの愛情の表れなのですが、反面冷静さを失わせて子どもの能力を超えた見返りを期待させてしまうことがあります。

自身が犠牲になっている、という感覚に背を向けたまま「がんばること」を目的に育児に取り組めば、いつかは状況だけでなく自分の本当の気持ちさえ冷静に見ることができなくなります。

そのがんばりは「報われない努力」になってしまうでしょう。





そうならないために、育児の苦労は「やりたいからやっている」という気持ちの範疇に留めること。
そして自分なりの育児に対する目的や戦略を持つことです。


犠牲をともなう苦労はなるべく手放し、育児を「やりたいからやっている」という親の生きがいの範疇に収めるよう意識する。

そして、子どもが育ってほしい方向性をおおまかに定め、そこに近づくためのタスクを一つずつクリアしていく。

先が見えにくい障がい児の育児では、がんばるという意識を手放しシンプルでかつ報われる努力をしていくことが日々の充実につながるのだと思います。






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