障がい児を育てる親の心に潜む『普通の子どもバイアス』に気づく
障がいを持つ子どもを育てる親にとって、育児とストレスの関係性は無視できないものです。
それは、一般的によく言われる「普通」とは違う子どもを育てるから。
本来、子どもは一人ひとり違った個性を持っているので「普通」という概念自体がそもそも当てはまらないのですが、それでも一度は「普通」とのギャップに戸惑うのが障がい児の育児です。
ときには育児自体の難しさよりも、「普通」という概念に振り回されることがストレスの要因になることがあるのです。
僕はまだ子どもが幼い時期、目に入った自分の子どもが他の子どもより劣って見えてしまうことに苦しめられていました。
自分の子どもだけを見ようと意識していても、気がつけば他の子どもと比較していることに気づき、罪悪感や自己嫌悪に苛まれる。
その後も自分の子どもと周りの子どものギャップが埋まることはなく、時間は過ぎていきます。ただその期間、自分の子どもへの見かたに対する苦しみや罪悪感は極端に少なくなりました。
育児への考え方にバイアスがあることに気付くことができたからです。
「子どものことを考えることが辛い」という状況には2つの原因が考えられます、
1つは「他の子どもは色々なことができるようになっているのに自分の子どもはできるようにならない」という寂しさ。
もう1つは「できないことができるようになって欲しい」という親自身の欲求です。
まだ子どもが小さいときは親も「なるべく普通の子どもに近づいて欲しい」という自分でも気づいていない願望が心の奥に潜んでいることがあります。
親が普通の子どもを望む気持ちは、自然な心の作用です。道徳的に良い・悪いという判断できる対象ではなく、ただそういう気持ちになってしまう。
しかし、実際には子どもが「普通」に近づくことはありません。
その子なりの個性をベースとして成長していくからです。
この親の心に潜む「普通の子どもバイアス」と実際の育児との乖離が、育児の上での心理的苦痛につながるのです。
「普通の子どもバイアス」から脱するためにできること。
それは自分の子どもと普通の子どもを比較することは「害」になるという認識を持つこと。
子どもができることとできないことを識別して整理することです。
子どもにとって、他の子どもや「普通」と比べられることは害にしかなりません。
他の子どもが楽々できるようになることを自分の子どもができないのは、生まれ持っての個性に原因があります。
努力してもできないことを親からの比較されることは、子どもにとっては「ありのままの自分は親に受け入れてもらえない」という体験と無力感をもたらします。
たとえそれが意図したものでなくても、普通との比較はやはり「害」にしかならないのです。
その上で大切なことは、子どものできることとできないことを識別して整理すること。
「普通」やまわりにいる子どもの印象に引っ張られ、私たち親の中にも子どもができないことをできると思い込んでいることがあります。
また、懸命に発達のサポートをしているつもりでも、その内容が子どもの個性に適していなければ報われない労力になってしまいます。
子どもをどう育てるのか以前に、「できることとできないことがきちんと整理されているのか」ということが育児の結果を分けるポイントになるのです。
もちろん、障がいがある子どもは必ず成長するので、ある時期には無理だろうと思っていたことが急にできるようになることもあります。
目の前の子どもには精一杯の愛情を注ぎつつも、ときには少し離れたところから子どもを観察する視点が平生から必要になるのです。
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