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わたしが2度目の転職をした理由

剣に生きると決めたなら
正しいかどうかなどどうでもいい
感じるべきは楽しいかどうかだ

バカボンド 伊藤一刀斎

渋い。かっこよすぎる。好きです、伊藤さん♪(笑)

ということで←どういうこと(笑)
早速本題に入ろうと思います。

今回は転職した理由についてもう少し詳しく書いていこうと思います。
正直、めっちゃ聞かれます。退職理由。当然なんですけど、人生の大きな決断の一つ。悩んでいる方も多いと思います。私が転職の時に考えていたこと、感情的なところも含めて参考になれば幸いです。

<読んで欲しい方>

  • 転職を考えている方

  • 転職は考えてないけど現在の仕事や業界が不安な方

  • 前に進む勇気がほしい方(曲紹介あり)

1,結論

今回の転職を一言でいうなら「自分の特徴(能力と興味と価値観)に賭けてみた」です。1回目の転職との大きな違いはそこです。1回目は「外に向いた憧れ(外向転職)」。2回目は「自分と時間をかけて向き合って出した答え(内向転職)」ということになります。
どちらがいいか?という議論は様々あると思いますが、私はどちらでもいいと思って思います。その時期、年齢によって外的転職はマイナスにみられることもありますが、振り返って見れば「まわりの状況に惑われず自分で意思決定できたか」「そこで精一杯自分の仕事を全うする覚悟はあるか」の2点に尽きると思います。さらに新しい職場で将来的にまた次の転職をしようとなった時に、自分の市場価値を評価してもらうために「数値的な結果」を出しておくことはとても重要になります。
つまり転職の際には退職する理由をこねくり回すよりも、次のステップについて「そこで何をしたいか、何を得たいか」を考えることのほうがよっぽど大切だと思っています。
私の場合は2回目の転職で「自分の特徴を活かした仕事をしたい。経営サイドで人事まわりの仕事や0→1の仕事に関わり、そこの経験をさらに積みたい」という思いで転職しました(80社以上書類で落ちましたが…( ;∀;)(笑)

2,1回目の転職について

1回目の転職は病院→株式会社でした。新卒で入った病院だったので思い入れもありました。同期とも仲が良く、いい先輩たちに恵まれプライベートでも遊ぶような間柄でした。そんな状況だったので転職する時は正直めちゃくちゃ悩みました。その当時(社会人2年目24歳独身)の葛藤は

「あたたかく、居心地がいい場所でのんびり仕事がしたい」
VS
「新しいことへ挑戦したい」+「このままでは普通の理学療法士で終わってしまう危機感みたいなもの」+「もっとお金を稼ぎたい」

2年目のくせにけっこう偉そうな、そして邪な考えをしていました。すいません。。脳卒中リハや運動学習、高次脳機能障害にも興味をもっていたため「いつか結果のみにコミットできる自費のリハができる小さな店を出すための転職だ」なんて思ってたこともありました。今思うと外向きの欲求「もっとやれる」「かっこよく見られたい」「普通の理学療法士になりたくない」が強く出ていたように思います。
こんな悩みをもってからはいろんな方に相談しました。家族、親戚、友人、当然同じ病院の同期や先輩にもしました。辞めること自体を引き留める人、応援してくれる人、転職した時のリスクを説明してくれる人、実は自分もやめようと考えてるんだよねと相談返ししてくる人…様々でした。そんな最中、社会人3年目の時に幼馴染に紹介されたのが、前職の株式会社の社長。介護部門を立ち上げたいという話で、社長の人柄にも惹かれ、選択肢は3つになりました。
①今の病院に残る
②クリニックや訪問で臨床の経験値をあげる
③介護部門の立ち上げで様々な経験をする

でもやっぱり引っかかっているのは①の今の病院に残るかどうか。もし辞めたら今まで築いてきた人間関係が崩れる、ただでさえ忙しいのにこんな時に退職なんて迷惑の何物でもない、育てて貰った恩を仇で返すような気がする…このまま変わらなければ楽かもしれないけど…でも新しい景色もみたい気がする。
そんな中で決断しきれずにいた自分の背中をおしてくれたのはこの曲でした。

でも君はそれでいいの?楽がしたかっただけなの?
僕をだましてもいいけど、自分はもうだまさないで

SUPER BUTTER DOG/サヨナラCOLOR

結果的には悩み始めて2年後、社会人4年目の26歳になる直前の3月末に退職を決意し、株式会社へ転職しました。この時は「新しいことにも挑戦できるし、通所であれば自費リハの経験もできる可能性がある」という気持ちで踏み切りました。

3、1回目の転職のその後について

転職が成功かどうかはその時には分かりません。最初は半日型の通所介護の設計。4月入社で半年後の9月オープンに向けテナント場所を決め、内装を決め、備品を用意し、採用、面接、初期の研修、、勢いに乗りなんとか始めることでき「よーし、これからがリハとしてどんな内容にしていくか腕の見せ所だなー(*´ω`*)」なんて考えていたのも束の間。転職の後悔の念が襲ってくるのはそう時間はかかりませんでした。なんせ社内の最年少部長、みんな年上の部下、リハ以外の他職種、パートさんが主力で共通言語がない、価値観の違い、目指すものの違い等々。。売上はずっとマイナス、スタッフからは嫌われ、機嫌を取ろうとするもさらにさらに嫌われ、退職続出。一時は退職率30%以上にもなり何度も地獄のような危機的な状況を経験。レッドコードでいっそのこと…(笑)なんてことも正直ありましたが、そこは周りの方たちのお力添えもあり、自分としてももがき苦しんだおかげで「転職してよかった」と思えるところまでいけました。途中で諦め、もがき苦しんでなければ今はなかったように思います。ここで得たことについては後日記事したいと思います。
結果として介護部門は半日型と1日型と総合事業、居宅介護支援事業所、訪問看護ステーションに携わることが出来ました。また地域初の職能団体の立ち上げ代表も経験。社外へのリレーションの構築も大きな経験となり、本当にこのような若輩者の私にとてつもない経験をさせてくれた社長も含め一緒に働いてくれた仲間に感謝しかありません。

4,2回目の転職について

2回目の転職は(今回)は株式会社→株式会社ですが、今回は医療介護業界→他業界です。医療介護業界も当然候補にありましたがあえて他業種という選択をしました。

2番目の会社では部長や職能団体の代表もさせて頂き、これからさらに大きくしていこう、といった状況。その当時(社会人10年目32歳既婚、双子2歳の子持ち、二世帯住宅購入済)の葛藤は

「やりがいのある仕事」「信頼してついてきてくれているスタッフがいる」「ある程度の年収をもらっている」「これから拡大期に入る会社の部長」「安定した仕事で自分のペースで仕事ができる」
VS
「本当に自分のやりたいことができているのだろうか」「このまま続けることが将来の自分のキャリア考えてベストな選択だろうか」「自分の枠だけで収まりこのまま成長が止まってしまうのではないだろうか」

最初は気のせいだろう、ぐらいで思っていました。なんせ自分が0から立ち上げた部門。統括部長と職能団体の代表、行政の相談役もやっていました。やりがいもある。きっと一時的なものですぐに収まるだろうと…でも全くこの葛藤が収まる様子はありません。寝ても覚めてもそのことが頭から離れない。。そこでいろいろ調べてみると参考になるものが出てきました。


「ライフサイクルの心理学」 D.レビンソン

レビンソンは30歳の過渡期の課題は、「焦燥感」「さまよい」「無力感」とも言っています。

まさに!という感じです。ほかにも

シャインのキャリア・サイクル・モデルでは
キャリア初期:17~30歳責任のある仕事も徐々に任されるようになり、独立を求める自己と従属させようとする組織の葛藤が生じやすい時期
キャリア中期:25歳以降組織の中で明確な立場を確立していく時期。スペシャリストかジェネラリストかの方向性が決まる重要な時期
キャリア中期の危機:35~45歳は自分の価値観や能力をより明確に理解し、再認識した価値観を重視するか、現状に留まるかの葛藤が生じやすい時期

と言われています。そう考えるとこういった悩みも一般的な悩みかなと思ってしまいました。

でも、そうはいってもめちゃくちゃ悩みます。残ったほうが幸せか、リスクは少ないだろか、そもそもリスクとはなんだろうか、やりいたいことができる会社ってあるのだろうか、まわりに迷惑かけてまで辞める意味はあるんだろうか…答えは出ませんでした。そこから迷走します(笑)

自分探し。
漫画読みまくる。
ビジネス本読み漁る。
仕事の優先度を下げる。
酒呑むことだけを楽しみする。
家族だけにフォーカスしてみる。
PIVOTやビジネス系ユーチューバーの番組みまくる。
起業しようとスタートアップのオーディションみたいなやつに応募してみる。

結果、心の充足感も満足のいく結果もありませんでした。「自分にとってなにが幸せで、価値があることなのか」が全く分かっていなかったから当然といえば当然の結果です。そこで目的ではなく手段を探してたんだと気づきます。手段ではなく目的…外向きではなく内向き…となれば自分と向き合って答えを出すしか選択肢はありません。そのことにようやくここで気づきます(当時社会人11年目)。そこで自分探しではなく自己分析が必要だと気づいてからは行動は早かったように思います。以下が過去の自己分析と現在の自己分析の違いです。

<自己分析以前>
・いい人…とよく言われる
・人に合わせられるが時と場合による
・リーダー気質はあるがカリスマ性はなく引っ張り切れないな
・どちらかというとネガティブかな?
・八方美人だと思う
・価値観ってなに?
・自分の進むべき道がわかっている人かっこいいなー…

自分だけで自己分析した結果

という程度のことしか正直わかっていませんでした。そうなると自分がどの土俵で戦えばいいかわかりませんし、自分の能力なんて活かせるわけがありません。

<自己分析後>
能力(強み):協調性・計画性・推進力
人に合わせられる力・コツコツ事業を進めていく力・アイデアを捨てられる力、課題や悩みに対して暫定的な答えを出せる力、0→1で発揮しやすい、少ないリソースで戦略を考える
興味:人の悩み・チームのことを考える・目的のためになにができるか
価値観:成長・挑戦・つながり

キャリアコンサルティング実施後

自分と向き合ってやっと見えてきました。これがその時もっていると考えていたカードです。これで自己分析がカンペキだと思っていませんし、こうやって自己分析を継続してやっていくことで自己不一致を防ぎながら環境への適応し、自分の本当に進みたい道へ迷わずいけると思っています。自己分析の結果は今でこそある程度明確さはありますが、それまでは本当に自分のこととなると、いい人かな?ネガティブな面もあるよな?ぐらいにしか出てきませんでしたし、自分だけでは決して自分の分析はしきれず他人の力を借りたからできたと強く感じています。

これらのカードを効果的に使って自分自身を活かした仕事をするにはどうしたいいか、ということを考えたときの葛藤は

「理学療法士という肩書で医療介護業界でずっと仕事してマネジメントや管理や運営のスペシャリストを目指す」
vs
「他業界の事業会社で医療介護業界のリハビリ専門職が自分の特徴を活かしてどこまで戦えるのかという挑戦」

でした。この葛藤の当時は社会人12年目。双子が4歳、住宅ローンの支払いもあるし3人目の子供もできたかもというタイミング。はたから見た「そんなこと考えずに安定したところで働けよ」というお声も聞こえてきそうでしたが、一度きりの人生。年齢だから、住宅ローンがあるから、子供がいるから、時間がないからという理由で妥協したくない。自分で選んだ人生で、挑戦を諦めたくない。

自分の能力や価値観と照らし合わせて、新しいことにチャレンジしていくことや理学療法士×他業界、0→1の環境で今までやってきたことが他業種にも通用するのか、時間的な制約がある中で自分の能力を活かした仕事をしたらどこまでいけるのか…当然自分だけで決められるはずはく妻の理解があってこそ。そこはしっかり説明して、と意気込んで準備していったらあっさり「やってみたいならやってみればいいよ」と。ありがたい。。そして社長、お世話になった方々へ、とすでに気持ちも行動も前に進んでいました。

35歳という節目の年。家族も含め今までお世話になった方々に迷惑がかかることも重々承知の上「他業界へと35歳過ぎてからの自分自身への挑戦をする」「そして医療介護福祉の業界出身でも一般企業で十分通用するというn=1を創る」と決断し、社会人13年目で転職を決めました。

5,まとめ

気合い入れすぎて長くなってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の転職は「自分の特徴(能力と興味と価値観)に賭けてみた」ということでした。
転職の理由を考えることも必要なことですが、「まわりの状況に惑わされず自分で意思決定できたか」「そこで精一杯自分の仕事を全する覚悟があるか」の2点に尽きると思います。また「数値的な結果」は常に意識し、次のステップについては「そこで何をしたいか、何を得たいか」を考えることが大切だと思います。


2回目の転職先でのその後についてはもう少し後になってから記事していきます。ただ挑戦やその時の葛藤、もがき苦しんでいるところの報告は随時していきたいと思います(笑)

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