医師起業日記_vol.7_「目標なんか要らない」のウソ
目標は本当に不要なのか
とにかく変化スピードの速い時代。あくびをしている間に「え!人間がやるよりすごいじゃん」と衝撃を受けるようなテクノロジーがどんどん出てくる。
会社を伸ばすミッションを担い、かつコーチングという目標を重要視する立場にある自分でも、予想外の変化ばかりだ。一時の目標に執着し続けるわけにはいかない。
「目標不要論」を唱える著名人たちの言いたいことは十二分に理解できる。しかし、我々一般人が「だよね!目標不要!」と同調していいかというとそうでもない。
「どこに向かっているのかわからない、目標が欲しい」とモヤついた表情で生活している人に、「今が楽しければいい!」と叩きつけても、納得しないだろう。
今回は「目標不要論」はなぜ鵜呑みにしてはいけないのかについて考えていこう。
「目標不要論」を唱える著名人は、実は目標を持っている
例えば「目標不要論」を唱えている起業家・インフルエンサーは、口々にこう唱える。
これは本音だろう。しかし、そもそも彼らは、その"何となくの行動"の裏に強烈な目標を持っていたはずだ。
「成功して資産家になってやる」
「有名になってやる」
つまり「目標不要論」というのはそもそも、目標を持っている人によって唱えられている側面があるのだ。ここを誤解してはいけない。
「"超具体的な"目標はもってなかったけど、ここまでこれてるよ」
という裏のメッセージがあるわけだ。
目標がないと"反応するだけ"の人生になる
目標がないことの最大のデメリットはこれに尽きる。そして、これに薄々気づいている人が「自分の人生・キャリアの目標は何だろう」と頭を悩ませている。
"反応するだけ"とは「周囲からうける情報に晒されて、時折それに従ってみることを繰り返す」というような感覚だ。
「別に新しいことに多く触れるのはいいことでは?」
そういう声もあるはず。
もちろん、これ自体はもちろん良いことなのだが。
"反応するだけ"になってしまうと、人間の根源的欲求である『成長したい』という欲が満たされづらいことが問題なのだ。
新しい資格に挑戦したり、新しい趣味にトライしたり。何でもかんでもかじってみるのはそれはそれで楽しい。しかし、心底に"どことない虚しさ"が出てくる。
これにフタをしてなかったことにして「目標なんていらない」とわざわざ口にしている人に限って、目標を持って生き生きしている人にどことなく羨望を持っていることも多い。
「目標を持ってそこに向かう」というのは、「それが正義」という暑苦しい自己啓発ではなく、人間本来的な欲求というわけだ。
個体としてよりよくならないと、優秀な子孫を残せない。集団内で劣等になってしまうと、自分の子孫を残せる確率が下がってしまうという原始から変わらない原理原則がある。
「今も豊かだけどもっと豊かになりたい」が目標のあるべき姿
「今も十分幸せだから、別にいらないのでは」
おっしゃる通り。ただ、純粋に「もっと豊かになれるのでは」とその先にさらなるワクワクを感じられるのって、とても幸せなことじゃなかろうか。
別に「資産◯億円」とか「起業して成功」とか、そういうそれっぽい目標でなくていい。
「今の家族と、もう一歩広くて住みやすい家に引っ越してみたい」
「せっかくだから、今年は家族を世界旅行に連れて行ってあげたい」
こんな目標でもいい。これを持っているか持っていないかで、幸福度・充実度がずいぶんと変わる気はしないだろうか。
実は、かくいう自分自身も、つい最近メンターに目標について問われて、
「気づかないうちに目標より目の前のアクションに囚われていたかも」
と感じ、このnoteを書くに至った。自分も生涯勉強中の身だが、こんなnoteで誰かのためになれたら幸いだ。
よければ参考にしてください!
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