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【COO紹介】ビジネスコーチ瓜生基希

はじめまして。MED COACH共同創業者の瓜生基希です。

現在、代表の松村とともに、医療従事者のキャリア再構築・起業支援を行うコーチングサービス『MED COACH』を提供しています。

>>サービス紹介はコチラ

松村とは高校の同期にあたるのですが、今回は私自身の共同創業までのストーリーも簡単にお話させていただきます。



こんな人に読んでほしい

  • MED COACHの受講に悩んでいる

  • 自分が何をやりたいのか」がハッキリしていない人

  • 起業したい」と試行錯誤しているが、行き詰まり気味の人

  • 転職しよう」と検討するも、その選択に確信が持てない人


幼少期

郊外のごく普通の街

福井県で生まれ育ちました。
田舎ではあるものの、山や森に囲まれているというほどではなく、ごく普通の郊外でした。

運動が好きで、いたずらをしてはよく呼び出されるやんちゃな子供でした。

ただ、筋の通っていないことや、理由がわからないことは絶対に納得や承服したくないかわいくない一面も。

冬の寒い日に登園すると、「身体を温めるため」と30分縄跳びを飛ばされるのが大嫌いだったため、こっそり一人でストーブをつけて温まっていたらこっぴどく叱られました。

親を呼び出されても、自分になりに考えて温めるための手段を取っただけだと謝らなかったのを覚えています。

この頃は気づきませんでしたが、田舎特有の「先生や目上は絶対」だという価値観に強烈な違和感を覚えていたのでした。


小学校

転校で色々な同級生に出会う小学校生活

自分の価値観やパーソナリティを形成した最も重要な時期でした。

父の仕事の都合で7回の転校を経験。入学は福井市立、卒業は世田谷区立の小学校。その間に、大阪や仙台、川崎など複数の都市を転々としました。

初めての転校は小学1年生。福井から川崎でした。
どの転校先でも温かく受け入れてもらうことができ、安心したことを覚えています。

「授業も聞きませんし、宿題もやりません。なぜなら僕は賢いから。テストもダントツで学年1位ですよね。」なんてことを、ベテラン教師にもはばからずに言い切る生意気な小学生でした。

当然友人もできず孤独感を感じる毎日。

そんな自分の居場所を見つけたのは、小学5年生で入った大阪の日能研。話が合うし、馬鹿なこともできる、そんな同級生がいるんだと初めて知り、15年以上経った今でも語り合える親友ができました。


中学校

横浜での中学校生活

横浜の私立中学校に入学。同級生の半分は、まだ中1なのに東大か医学部に行くと宣言しているような進学校でした。

ホームルーム以外、全教科が能力別クラス制で、毎月テストの成績で入れ替わる環境。中学受験が終わったと思ったら、次は大学受験へのレースが始まりました。

成績第一の学校だったため、学生だけでなく、教員も下位クラスの生徒を小馬鹿にしていました。

一方で、上位クラスの生徒には教員も対等に接するという状況を目の当たりにし「社会ってこういうもの。政治家やお金持ちが優遇される。自分もこうならないと。」と感じるようになりました。

こうした状況を通して、勉強ができないと価値がない。それも、プロセスや勉強時間ではなく、結果が大事という序列意識を感じるようになりました。

とはいえ、周囲には勉強ができる人ばかり。今まではどこに転校しても1番を取ってきたのに、どうしても勝てない相手がいる状況に悩みました。

そこで僕がとった戦略が「悪いことをして目立つ」という短絡的な発想。成績がそこそこ良いのに、悪いことをすれば珍しい存在になれると考えました。

もちろん警察にお世話になるようなことは一切ありませんでしたが、校則違反を繰り返し、ついには「あなたはこの学校に向いていない」と自主退学を進められ、退学を決意するに至りました。

しかも退学した時期は中3の12月。

中高一貫校のため、高校受験の準備など一切しておらず、首都圏の難関私立や公立高校への入学は難しいと判断し、泣く泣く祖母の家を訪ね福井の公立中学に転校。

地方の高校受験の出題内容は、中学受験の知識で対応可能だったため、ほぼ対策をすることなく、県内トップ校に進学することができました。


高校

自分軸の重要性を感じる高校生活

とにかく真面目な生徒が多く、「勉強もやりつつ、部活をしたり、恋愛したり楽しく過ごしたい」と気楽に考えていた自分にとっては非常に窮屈でした。

そもそも現在の学力も、目指す大学のレベルも異なるのだから、クラス全員が同じ授業を受けるなんておかしい。

自分で目標を立て、学習計画を作る代わりに、目標達成には効果が薄いと判断した授業には出席しないという学校生活でした。

面白くない授業は休み、保健室に行って好きな本を読む。

同じ勉強や学問でも一流の塾講師や知識人から教わるとべらぼうに面白いことがわかり、体育と部活以外は授業に出ず、本ばかり読んでいる日々でした。

「自分が納得ができる目標を立てて、人に振り回されず生きる」ことが幸福につながるんだろう、そんな価値観が確立された高校時代でした。

結局受験には失敗し、早稲田大学に進学しましたが、高校時代を通して自分の生き方の軸を手に入れることができました。


大学

経験に投資する大学生活

早稲田大学に入ったら、さぞ賢い人が多いだろう、かわいい彼女もできるかなと意気揚々と入ったものの、高校時代と変わらず真面目な人ばかり。

「何のためにこの授業受けてるの?」「この授業から何を学んだ?」と聞いても「とりあえず必修だから受けている」と返ってくるだけ。

「賢いからいい大学に入り、いい大学を出たからいい会社に入る」という彼らと、飲み会や遊びで付き合うのはいいけれど、全ての時間を過ごすのはまずいと直感しました。

大学2年から就活を開始し、AIスタートアップでインターンを開始。
とにかく早くから動いて、たくさんの業界や働き方を見て、納得のいく就活をしようと考えていました。

おかげで就活はとてもうまくいき、外資系コンサルや大手企業から複数の内定を獲得し、ストレスなく終了しました。

真面目なことばかり書いていますが、毎日のように飲み歩いたり、毎回の長期休暇には海外旅行に行ったり、遊びまくった大学生活でした。


入社

仕事にのめり込む社会人生活

M&Aをやる花形部署への配属を希望していたのに、まさかの営業配属。
すぐにやめようとしましたが、会社は一枚上手でした。

「どうしたらもっとこのセールスがうまくいくと思う?売上があがる?」と聞いてくる上司は、真剣に意見を聞いてくれて、実際に取り入れてくれる。

あっという間に営業にのめりこみ、毎月1000万円超の営業目標を持ちながら、忙しくも充実した日々を送っていました。

その後、SaaS事業部に異動し、表彰や昇進を経験しながら、給料もアップし、フルリモート、フルフレックス、さらには自分の仕事内容の7割は自分で決められるという非常に恵まれた環境で働くことができました。

とはいえ、給料の上り幅もキャリアも見えている。自分がやりたいのは会社員として、大きな組織の1ピースとして働き続けることではない。

「これからの人生、このまま過ごしていて大丈夫なんだろうか」
こんな悩みが大きくなっていく中で、「自分で仕事を創り出し、お客様に届けることで対価をいただきたい」という思いが強くなっていきました。


MED COACH創業

複数事業の運営に踏み出す

せっかく自分の人生の時間を使うなら、自分の強みを生かせるところで活躍したい。

そんな軸で、副業や事業に時間を投資してきました。その結果、本業の収入以上を稼ぐことができ、総収入は2倍以上になりました。

そうして生まれた事業の1つがMED COACHです。1人でもキャリアに悩む医療者を減らしたいという松村の想いに共感し、1から事業を作りました。

プロトタイプができたのは、2023年夏。数名の方に受講いただき、そこからサービスを磨きこむことで今では安定して月商数百万の事業へと成長しました。

そして、受講された方のキャリア相談に乗らせていただくうち、「単発の相談だけでなく、カリキュラムとして瓜生さんのビジネスコーチングが受けたい」というお声を頂くことが多くなり、MED COACHでビジネスコーチングを提供することになりました。

>>ビジネスコーチングについてはコチラ


最後に

人生のゴールへの一手段である「事業」

ライフコーチングで立てた人生の目標を達成するために、事業をやりたい」そんな方のお力になれればという一心でビジネスコーチングを実施しています。

ビジネスコーチングでは、手っ取り早く儲かる事業を教えることはしません。というより、そういう軸でお金を稼いだことがないので私もわかりませんし、受講生の方の目標達成にも近づきません

まずは、「自分がなぜ事業をやりたいのか、どんな事業なら自分の貴重な人生を使いたいと思えるのか」から考えてみませんか。

人生を変えたい方は、まずはお気軽にご相談ください。
もちろん無料です。
MED COACHでお待ちしております。

>>無料相談はコチラ



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