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4.「出オチじゃない?」


 2章にわたる“あらすじ”はいかがだっただろうか?
 面白そうではないだろうか???

 私は先日、あの“あらすじ”を要約して3人の友人に話してみた。
 すると面白いことに、三者三様の言葉で同様の返答をくれた。

「出オチじゃない?」

 ――確かに「AIに転生」っていうのは面白いかもしれない。
 でも、その後の「VTuberもの」を「AIでやる意味」がないように感じる。特に面白くなるとは思えない。
 だから、斬新だけど出オチで、結局は尻すぼみに終わると思う――。
 と、そんなようなことを言って貰えた。

 皆さんはどう思うだろうか?
 やはり、「出オチじゃない?」と思うだろうか。

 私は思う。
「出オチだ。」

 むしろ問いたい。
 出オチの何が問題なのだろうか?
 “まずは”出オチでいいのだ。

 この物語において「AI転生もの」が活きるのは、「最初のインパクト」と「要所ようしょの盛り上がり&小ネタ」でだと私は思っている。


 この物語は基本的に「AI転生もの」としてではなく、VTuberの「裏側もの」として進んでゆくのである。

 “あらすじ”もそうだったはずだ。
 あれは主人公がVTuberになる前の話だったが、「一人の無名配信者が大手のグループでVTuberになるまでの苦悩や葛藤」がえがかれていたあの“あらすじ”は、まさしくVTuberの「裏側もの」の序章と言えるだろう。

 そんな物語の中に、ちょっとした「小ネタ」として「AIだからこそ」のネタをふんだんに盛り込むのである。
 そして、最大の盛り上がりどころにもやはり「AIだからこそ」の苦悩をえがくのである。


 いわばこの物語は、「VTuberの裏側もの」という大筋を、「AI転生もの」という要素で進んでいく物語なのである。