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『ゴダールの死と、尊厳死について』 / by naok fujimoto

ジャン=リュック・ゴダール(1930-2022)享年91歳の訃報を聞いて、
当初は英国のエリザベス女王と同様に(ご高齢だから)って思ったけれど、死因が"自殺幇助"と聞くとなんとも複雑な気分に…

だから、頭の中を『勝手にしやがれ』のフレーズがリフレインしっぱなしで一体どうして!?って気分になるが、他人の胸のうちなんて赤の他人には到底わかることではなくて…

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ゴダールはスイスで亡くなったとのこと。

以前、2019年ごろにNHKの特番で、スイスで安楽死を迎えた日本人女性の特集があった。

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衝撃的だったのは、安楽死希望の当事者自らが最期の瞬間をビデオカメラに収めるということ。

それは当事者からのラストレターであり、かつ、自殺幇助が適切に遂行されたことを警察に示す状況証拠となりうるもので、今際の際(いまわのきわ)という極めてエモーショナルな作品性とシステマチックなアーカイブ性との両軸を兼ね備えるこの”映像”の存在に思わず息が詰まった。

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カメラの前に立つという行為は”撮ること”以上に実は相当な覚悟と決意を必要とするものではないだろうか。

なぜなら、それは自分自身をすべてさらけ出すことに等しいから…

なので、記念撮影すら苦手な自分は芝居でもなく素面でカメラの前に立つなんざ、想像するだけでキツイ。

その一方で、その先に何があるかを見てみたいという欲望もうっすらある。
だけどまだ自分にはその覚悟ができていない。

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ゴダールが一体どのような過程を経てスイス行きを決め、どのような最期を迎えたかは知る由もなく、それこそまさに勝手にしやがれの領分だ。

だが、彼は生まれてはじめて”撮られる側”にまわったのではないだろうか…

長年に渡る疾患と経年により失われゆく身体性を感じながら、敢えて最期のカメラと対峙するということ。それも一発どりの長回しの短編。
そしてそれは、見知らぬ大衆や足を運んだこともない劇場ではなく極々近しい者だけに注がれる最期のラストワークとして。

自分には未だわからないけれど、
本当に残したい作品って、もしかしたらこんなものなのかもしれない...

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そういう風に考えていくと、かつて商業映画との決別宣言を行ったゴダールらしい選択とも言えるのではないだろうか…

でもずっと地べたをはいずっている自分からすると、やっぱり勿体ないやらさみしいやらで…釈然としないのも事実だ。

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ところで、ゴダールの『気狂いピエロ』、
今ならこの邦題、アウトだよね.

『クレージーピエロ』じゃアメリカンチックでにやけ過ぎだし…
ノンポリ以降の映画を語るのってこれからますます難しそう…


参考)
▶︎NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』2019
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi...

▶︎画像引用: http://katte-pierrot.2022.onlyhearts.co.jp/


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