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自己表現が、相手に受け入れられなかったときの考え方

自己表現は目の前の相手に受け入れられてなんぼのもの。相手と響きあってこそプレゼンは成果を生みだす。プレゼンしながらその場で感じ、その場で考え、その場で相手にあわせた対応をすること。そうしてはじめて、その瞬間の相手のこころに届く表現になるのです。

しかし、プレゼンは、常に相手に受け入れられ、提案した企画はいつも採用されなくてはいけないのでしょうか。
じつは、そうではありません。

自分の身体はひとつだけです。
100万人の人々に、自分の思いが伝わることは素晴らしいことですが、100万人の人々と一緒に仕事をすることはできません。
どんなに相手があなたと一緒に仕事をしたいと言ってくれても、です。
自分のキャパシティを超えて仕事を受けても、物理的にできないものはできないのです。できないことを「やります」と引き受けてしまえば、かならずあとで相手に迷惑をかけます。損害を与えることにもなりかねません。
それは、プロとしても、一市民としても非常にまずいことです。

いっぽう、響きあう相手と仕事をした方が、仕事は、ずっといい仕事になるということは、当たり前のことです。
響きあわない相手と、いろんなことを我慢しながら仕事をしても、いいアウトプットは生まれにくいです。それに、つらいです。
売ってしまえば終わりになる仕事ならいいですが、売れた瞬間から相手と深く関係しなくてはいけなくなる仕事なら、響きあわないこと自体が仕事の障害になります。行き詰まって成果が出ず契約条件を満たせなければ、プロとして責任問題です。
これは避けなくてはいけません。
響きあえない相手を、無理やり説得して無理やり契約書や商品購入申込書にハンコをもらい、お金をもらおうとしてはいけないのです。
目の前の利益を得ることができたとしても、それは、あとで大損につながる危険をはらんでいます。

うまくいかなかったおかげで道が開けることもある

プレゼンをするとき、目の前の相手は、どう考えてもこの企画をやるべきだと思えることがあります。
こちらの都合でそう思うのではなく、私利私欲を捨てて純粋にプロとして客観的な視点から見てそう思えるのです。
そういうときは自信を持って、いいプレゼンができるものです。

しかし、それでも通らないことはあります。
なぜだ。どうしてわかってもらえないのか。
無念さ、悔しさがこみあげてきて、プレゼンが受け入れられなかったことに強く心を囚われてなかなか頭を切り替えられないのは、そういうときでしょう。
私自身も悔しいプレゼン敗退の体験は何度もあります。
しかし、ほんとうに不思議なことですが、いま思うと、あのときうまくいかなくてほんとうによかったなと、しみじみ振り返ることができる「敗退」が多いのです。
敗退したときは、そんなことはまったく思わず、しばらくただただ気持ちがへこんでいます。
しかし、時間がたったいまから思うと、もしも、あのときのプレゼンが通ってしまっていたら、あとでどれほど苦しい思いをして仕事を仕上げなくてはいけなかったかが、はっきりとイメージできるのです。

プレゼンに破れると、こころに空白ができます。
そして同時にまた、ぽっかりと時間ができるものです。
プレゼンが通れば確実に忙しくなるはずだったスケジュールがなくなるからです。
この空いた時間は非常に重要です。
そういうときにこそ、できることが、かならずあるのです。いや、そういうときでないとできないことがある、というべきでしょう。
これは、自分でつくろうと思ってできた時間ではありません。ある意味で神様が与えてくれた時間です。この貴重な時間をありがたいと思って使えると、何かが生まれます。

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