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【アート】イコニスム(イコン主義)とジオメトリックエロース(幾何性主義)

■イコニスム(イコン主義)とジオメトリックエロース(幾何性主義)

・神聖なるグリッドのエロティシズム、とは、イコン、幾何学、エロス、という純粋な組み合わせなのである

難民として


・断片としてのイコンとグリッド性性が散らばり、その差延が伸長していき、ついに、神聖なるグリッドのエロティシズムを創造していく

・つまり、ベンジャミン・ブグローの述べた、断片と断片を弁証法の位置に、配置(レイアウト)する、という方法なのである。たしかに、弁証法である

・だが、重要なのは、オルターモダンの思想性からして、それ自体、近現代への否定弁証法の位置から発走し"続ける"ものであるに他ならず、まさに、世界や時代への適応ではなく、その変化に合わせる、という、たしかに、翻訳的なアートなのである

・つまり、弁証法として、先端が細り、トポスの性質が、不在になるに従うところの、作品の完成、をひとつの契機としながら、作品完成間、その、まさにインターバルは、原トポス的なもの(底はウートポス)に根を伸ばし続けるものに、寄るために、サグラダ・ファミリア的な塔の多在と永遠から無限の領域で創造が可能になるのである

・創造に先駆け、生誕性を、より重視したことによる、サグラダ・ファミリア的なもの、こそ、神聖なるグリッドのエロティシズム、なのである

原塔

・動き続ける地盤とは、塔の途中で互いに綜合しあう、幾何性のために、次元を一つかそれ以上、余分に含むのである。この際に性はエロティシズムである必要が生じる(子塔の生成)

・このような芸術における制作方法を採用していたのは、言うまでもなく、パブロ・ピカソである(つまり、オルターモダンは、すでに、近現代に、触手を伸ばして、擬態し続けてきたことが伺える)

・オルターモダンとは、この時代の〈このこと自体〉のひとつのシニフェアンに過ぎず、その指し示されるシニフィエについて、カール・ヤスパースなどの超越的な哲学を参照したほうがはやい(枢軸ということ)

・いずれにせよ、芸術の領域では、〈このこと自体〉は、美、と呼ばれる。それは、たしかに、多面体―多様体―多性体として、芸術を可能ならしめる

・このことは、つまり、芸術家、アーティストとは、ひとつの綜合家であり、総合家とは異なることを意味している。総合家は、部分と部分をただ凡庸にオプションとして実行して、一見統合されているような分裂と瓦解と散乱の停止にとどまり続ける他にない。綜合家は、一即多、をたしかに如すゆえに、結果的に多分野を生成せ"ざるをえない")


超越者

・つまり、超越者である(その構造は、「超越的内在―沈黙または神秘もしくは戦略的秘匿―内在的超越」というように、である)

・よって、ここでの綜合家、つまり、芸術家やアーティストにおいて、この意味では、ひとつの分有体なのである(これが、ひとつの驚くべき転回なのである)

・だが、この分有の関係を説明する、言葉はあまりに難しい。単独者的なものが、どのように、関係するのか

・そのことについては、トマス・アクィナスやライプニッツが、アナロギアという言葉において、説明を試みているが、それ自体、殆ど三一の神論を理解するようなものであり、より、感覚的な理解が求められることになる


内発する流出断片の再融合

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