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【IDEA】多様性から村社会へ

前回の続編になります。読んでいない方は、リンクを貼っておくのでご覧ください。

先日、あるお店で知り合った方と、お互いの趣味の話になりました。その方は女性できれいな容姿でしたが「私はF1が趣味です!毎年、鈴鹿サーキットにも行ってます!!」という回答だったので驚きました。人は見かけによらないなぁ、と思った次第です。

多様性やダイバーシティという言葉が使われるようになって久しいですが、私が学生の頃に比べると、大人も子どもも趣味のバリエーションが増えた気がします。

ところで、「多様性」を辞書で調べてみると…
「さまざまな社会、民族的背景、異なる性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンド」とあります。

本記事では、「多様性」を私なりにまとめてみたので、良ければ読んで行ってください。

【そもそも多様性とは…】

当然ですが、東京のような都会になればなるほど、多種多様な人と関わることが出来ます。普段、北海道の田舎で暮らしている私も、新幹線や飛行機で都会に出ると、色々な意味で刺激をもらいます。

ただ、少し疑問に思うのは、都会というのは「本当の意味で多様性を認めているのか」という点です。それは、恰も周囲への関心が薄いことが、多様な状況を許容しているように見えます。

その一方で、私自身も含め、我々が「多様性」をきちんと理解しているのか、という点です。これはセンシィティブな問題でもあるので、踏み込めずにいました。

多様性を考える上で、参考となる書籍があるので、一部抜粋して紹介します。

著者はベルギー出身の女性の政治学者です。

あらゆる秩序は政治的であり、なにかしらの排除の形態に依拠するのだと。抑圧されているが、それでも再び現れることが可能な、別の可能性が常にひそんでいる。

【政治的なものについて:ラディカル・デモクラシー】シャンタル・ムフ 著

本書では、「秩序ある状態には排除がある」と言い切っています。整った社会にするためには、何かしらの駆け引きが巧みに施されています。確かに、世界国々の情勢を見ると、言わずもがなという感じです。

だからと言って、多様性は成立しないと筆者は主張しているのではありません。多様性のある社会とは、「複数意見の対立状態が恒常的にあり、それらがぶつかり合っている状態である」とまとめています。

私はてっきり、多様性のある社会というのは「皆違って皆良い。それでも、お互い認め合いましょう」のような、安直なものかと思っていましたが、本書では結構シビアに書かれています。興味のある方は是非!

【疲れた場合】

田舎暮らしの私なので、都会での便利さに心惹かれるのも事実です。ところが、都心に住む友人と話をすると「東京は住んでいて飽きない。でも、一生住み続ける場所かと聞かれると…微妙かな」と言っていました。

彼の何か含みのある言い方には、都会暮らしの一長一短を私に伝えたいのでしょう。ボヤキとして、たまに聞くのが「都会に疲れた」という表現です。一方で「田舎に疲れた」とはなりません(少なくとも私の場合)。

因みに、その友人は疲れた場合「自然がある所へ行く」とのことです。

再び紹介します。
「逆」を辿ることがヒントになります。

自分とは、自然から分かれてきたもの。もとは自然という一つのものから分かれて、それぞれの自分がある。

清水克衛 著【逆のものさし思考 第11講 自らではなく、自ずから】より

森や川、海など自然を欲するのは、人間の本能的な部分かもしれません。

また、都会の喧騒を離れ、自然に囲まれた田舎暮らしをしてみると、地域の繋がり、ご近所付き合いにほっこりすることがあります。もし仮に、村社会特有の理不尽さを感じたとしても、都会で多様な感覚を身に付けたあなたなら大丈夫かと思います。

ただし、コミュニティを俯瞰して見えるようになった場合、その場を純粋に楽しめなくなっている自分がいるのも事実です。

都会から久しぶりに田舎に帰ると、冷めた自分がいます。
都会にも田舎にも馴染まない自分がいるのです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。記事の途中、田舎と都会、村社会と多様性が混在していますが…あしからず。
最近では、フォロワーも500人を超えて嬉しく思います。これからもよろしくお願いします!!


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