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【IDEA】村社会から多様性へ

これまで私が住んでいた所は、東北三県と北海道なので主に北日本になります。振り返ってみると、田舎暮らしが多いです。

転勤族なので異動に抵抗はありませんが、たまに「ここは村社会だから、よそ者に厳しいよ」なんて忠告を受けることもあります。
それ聞くと「えー」ってなります。

人口数千人の郡部となると、街行く人や借家の住人、車の車種まで皆が皆大体把握しています。放課後になると、生徒らはスーパーの定員やコンビニのレジ打ちのアルバイトをしています。「先生、昨日〇〇で買い物してたでしょ」なんてしょっちゅうです。
要するに、生活圏の殆どが知人です。

私はよく東京へ遊びに行きますが、都心の友人に田舎の現状の話をすると「考えられない…」なんて言葉が返ってきます。
確かに、そこだけ聞くと奇妙な場所に聞こえますが、「住めば都」なんて呑気な諺があるように、慣れてしまうとあまり気になりません。

因みに、北海道は歴史的な観点で言えば、よそ者の集まりですが、地元愛が強い気がします。道産子なんて言葉もあるように…

余談ですが、道民によっては本州のことを「内地」と言う人がたまにいます(本州の人からすると信じ難いですが本当です…)。
沖縄のような歴史と現状があればともかく、そういう人に対して「であれば日本の外地はどこを指していたのだ」と問いたいところですが、止めておきます。

話が村社会から逸れましたが、今回は田舎から都会まで住んでみて感じたことを私なりにまとめたので、良ければ読んで下さい。
また、今回のテーマは2部構成になっています。本記事では「村社会」が中心です。

【なぜ、村意識が生まれるのか?】

概して、村社会は田舎に多く、多様な環境は都会に多いです。
田舎の場合、コミュニティに慣れてしまえば、その土着性が強くなりやすいです。一方で、都会は人の出入りが激しいので、人との繋がりが持ちにくい傾向にあります。昨今、地方都市への移住を推進している自治体もありますが、役場に勤める知り合いに話を聞くと、中々課題が多いのが現状です。

因みに、「村社会」を辞書で調べてみると…
「有力者を中心に厳しい秩序を保ち、しきたりを守りながら、よそ者を受け入れようとしない排他的な社会」とあります。

ところで、日本には、こうした村社会が多いと言われています。それは決して、他国との比較ではなく、あくまで島国にとして、一つの国でありながら場所によってしきたりが異なる…というものです。

原因として、よく挙げられるのは、日本には国教が無い点にあります。戦前の学校には儒教である「修身」という教科がありましたが、戦後そうした宗教的な学問は無くなりました。

まぁ、お正月には神社でお参りをして、結婚式はチャペルで行い、お葬式にはお坊さんを呼ぶわけなので、国教のある外人からすれば、節操なく映るのかもしれません。

これが現在の日本的と言えばそれまでですが、これが原因で、その土地独自のルールを作らざるを得ない一つの要因かと思われます。

結果、集落ならではのルール、大袈裟に言えば人生の軸となる考えがそれぞれ土地によって異なる事態を招いています。

ここで私が言いたいのは、村社会が良い悪いという観点で記事にしたいのではなく、要するに、このシステムは一部の共同体を維持するための独自のルールと言えます。

実はこれは、学校のルール、すなわち校則も当てはまります。制服の着こなし、髪型から靴下の色まで決められており、海外のALTにしてみれば異様な光景に移ります。これら身だしなみのルールは、当時の軍国主義だった名残りがあるのかもしれません。あるいは、自由過ぎると風紀を乱す原因になるのかもしれません(根拠はありませんが…)。

他にも、とある大学では「うちのサークルの新歓コンパでは、新入部員が一気飲みだ!」とか、とある会社では「我が社の歓迎会では、新入社員が一発芸をしなければならない!」など、不合理なルールというものは言い出すと切りがありません。

このように、独自のルールによって結束が深まるような雰囲気には、「おやおや〜?」と思った方が良いかもしれません。

藤子・F・不二雄 著【SF短編集】
それでも、村社会で可愛がってもらった私は、昔はこんな人間でした。

【息苦しい場合】

新書の中で最も繰り返し読んでいる本です。

そもそも論で考える。大疑下に大悟あり。

清水克衛 著【逆のものさし思考】第七講75頁 より

要するに「常識を取っ払い、一旦、ものごとを大きく疑うことで、大きな悟り(発見)がある」というものです。

つまり、学校や勤め先にある謎のルールには、ただただ慣習になっている場合があります。時折、疑問を持ち、発言することで「よくぞ言ってくれた!」となるかもしれません。一つの発信によって、思いもよらないところから人が集まり、多様な意見が生まれるチャンスかもしれません。

これは決して、村社会を止め多様性を推奨しているわけではなく、あなたはあなたの判断でものごとを見ているか、ということに繋がります。

多様性とは結果論です。

篠原健太 著【彼方のアストラ】
田舎でも都会でも自分の目が大切です。

今回は以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございました。次回は「多様性」に関する記事になります。本記事の続編なので、よろしくお願いします。


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