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江戸深川と板橋区高島平

こんなツイートを見かけた↓

部外者から見た地元がどう目に映るかは興味深いが、ちょっと意外な気がして、引用RTで書いたのがこちら↓

「我らが板橋になんてこと言うんだ!」なんて気持ちは毛頭なくて、純粋に面白いと感じたのだ。

レンタルさんにとっての東京のイメージはなんなのだろう?

私にとっては、東京は吹き溜まりだし寄せ集めだけど、みんなそれを卑下せずに過ごしていて、持ち寄りあった文化がユルく混じりあっているイメージ。

官公庁やビル群は政治が作り上げたハリボテで、下町と言われる雑多なエリアこそが東京の真髄だと思っている。

そういう意味では、板橋の空気が重いのではなく、都心の空気が空虚なのだ。
でも、裏側ではあるのかもしれない。

そんなことを考えていて、ずっと頭の片隅にあった印象を形にしようと思い立った。

生まれ育った江東区深川(南部)エリアと、今住んでいる板橋区の高島平エリアには、何か似た空気があるぞということ。

江戸湾の砂洲を埋め立てて開墾した深川新田に端を発する深川エリアは、明暦の大火後の江戸市域の拡大によって町人の街となって下町エリアに組み込まれた。

一方、膨張する東京の人口を受け止めるために、荒川沿いに広がる水田地帯を宅地造成して一大ベッドタウンとして昭和40年代に誕生したのが高島平エリアである。

時代は江戸か昭和かで大きく異なるものの、江戸・東京の拡大を受け止めるという成り立ちは近い。

砂洲の埋立地である深川も、荒川の沖積平野に端を発する高島平も、土地の起伏がほとんどない。

そして、かつて流れた多くの川が暗渠や親水公園となっているのも共通点だ。

(ただし、深川では水運のために運河が人為的に掘られたのに対し、板橋では湧水が川となって荒川に注いでいるので、川の成り立ちは全く違う)

今の住まいを高島平エリアに定めたのは妻の仕事や経済力などを勘案してのことだったが、個人的に私がすぐに馴染んだ背景は、まさにこの地元・深川と似た雰囲気にあったと思っている。

その上、すごく子育てしやすい。

いい場所に辿り着いたなぁとしみじみ思うのだ。

レンタルさんが行った板橋は、まさに“板橋”というべき板橋宿エリアのようなので、高島平エリアとは全く様相が違うんだけれど、やはり「空気が重い感じ」というのはストンと落ちないものがある。

板橋宿エリアの、特に旧中山道は歴史と今がユルく共存するのどかな江戸の原風景とも言える場所。

ぜひ足を運んでみてほしい。

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