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第三子誕生の日

2011年1月7日金曜日。

まだ夜も明けやらぬ午前4時。

吾輩は妻に起こされた。

「陣痛らしき痛みがある」

そう、妻は臨月だ。

上の子達には、「お母さんのお腹には赤ちゃんがいる」ということは早い段階で伝えてある。

長男はもう1人下の子が増えることをずっと楽しみにしていた。
親より先に名前まで考えていた。

長女は自分が謳歌していた“下の子ボーナス“を失うことに抗い、対父限定で(母にはそれほどでもなく)甘えん坊モードになりながらも、すっかりお姉さんっぽくなった。
トイレトレーニングまで仕上げていた。

起こされた吾輩は、そんな二人の子も起こす。

妻を産院に連れて行くのに、幼ない二人を置いて行けないからだ。

長男はすぐにパッチリ起きてやる気満々。
長女はまったく目覚めず眠ったまま。

そんな4人で産院に向かう。

すぐにLDR室に入ったものの、まだ間がありそうとのこと。

一旦帰宅して二度寝。

二度寝の前に連絡してあった我が両親が8時ごろに我が家に到着。
10:20ごろに妻から連絡が入って、再び5人で産院に向かう。

11時半ごろに到着し、顔を出していったん5人で軽い昼食をとり、13時、吾輩は妻が頑張るLDR室に入る。

この時点で陣痛が5分間隔になっていた。

そばにいて支える。

とは言っても、腰をさすってあげることと言葉で励ますことくらいしかできない。

出産において、父の力は微々たるものである。
それは上二人の出産で重々知っていること。
しかし、だからこそ全力で支えるのだ。

陣痛が強まる割には間隔が短くならないことを受け、14時頃に医師が破水を誘発する判断を下す。
曰く、膜が強いらしい。

この処置が奏功したのか、陣痛の間隔や妻の様子に変化が見られるようになった。
立ち合っているだけとはいえ3回目。なんとなく感じるものがあるのだ。

15時を回った頃、助産師による準備がより進む。

さらに15:20頃、本格的に分娩へと進む。
助産師の指示通りに呼吸を重ねて息む妻。
ただ寄り添う夫…

そして15:43、ついに我が家に三人目誕生。

2886gの元気な男の子だ。

出産後、妻は後陣痛に耐えていた。
後陣痛は、経産婦の方が辛いんだとか。

「産むのが大変だったのに、産んでからも…」
と苦しむ妻にしばし寄り添う。感謝を添えて。

産後2時間の安静となる妻を残し、みんなの待つロビーへ。

出産直前のタイミングで義母も到着しており、待ち人は6人になっていた。

6人でモニターに映る新生児を拝めたとのこと。何より。

長男は呑気に母の登場を待ちながら、大人たちに愛想を振りまいている。

人見知りの長女は、勝手知ったる父の登場にテンションがおかしくなり、とっ捕まえたら寝てしまった。

長男も眠いと言いつつ寝付けずにいた18時頃、新生児を連れた母が登場。

待ち構えた面々に歓迎される赤子。神秘的なかわいさ。
妻もホッとした表情になっている。

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10分ほどの対面を終え、赤子が新生児室、妻が病室へと引き上げた時、それまでどんなに起こしても起きなかった長女が目覚めた。
何というバッドタイミング。

しかしもう仕方ない。

長女は母にも弟にも会えずに去るのが納得いかず大泣き。
車に乗っても、出発しても、泣き止むどころか弱まりもせず、飢えた猛獣のように泣き叫び続けた。

長男は、そんな長女を後目に、「お腹空いた」と言いながら寝た。

泣き止まない長女が長女なら、その大音量の中熟睡する長男も長男である。

自宅への行程が半分を過ぎてようやく泣き止んだ長女と、しっかり睡眠を取った長男、駆けつけてくれた我が両親で、自宅近所のファミレスで夕飯。

長い一日はようやく幕を閉じた。

冬休み中の金曜日。

父の休みやすい日に生まれてきた次男坊は、長男の一声と両親の思いを載せて、友介(ゆうすけ)と名付けられた。

2011年1月7日、我が家がまた賑やかになった日。

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