瞳の中の

瞳の中のサクリファイス

2020鑑賞感想041 サクリファイス

3/9ぶりのアップリンク吉祥寺。そして『サクリファイス』。物凄い久々に観た気がした。思えば6日しか空いていないのに。

この間にスクリーン1からスクリーン3へ場所が変わっていた。スクリーン3での『サクリファイス』はどんなんだろう。そうワクワクしながら観た。

たぶん少しだけ大きくなったスクリーン。座席の場所が1と違うのか、スクリーンとの距離。スクリーンの明るさ。音の出方。どれもが全然違って。全く別の作品のようだった。ご本人たちにも言ったのでここにも書くのだが、少し文字がボケていたように見えたり、アップの人のピントが合っていないようにも感じた。ので、一応ご確認ください、とだけは言った。僕の勘違いだったのであれば、すみません。でも、少しだけ大きくなったスクリーンでも、違った。もっとスクリーンが大きな映画館で観たいと思った。

音響が、個人的は好きだった。ただ、おそらくここの音響、他の映画だとそこまで良くないんじゃないの?って別の作品で何度かこのスクリーン3で観て、思った。手前の音と、奥の音の差が前よりも広く感じた。音が真ん中にいたなあ、と感じなかった。ただ『サクリファイス』は、こういう音でも悪くないなあ、って思いながら観ていた。

と、いうわけで今回は、以前よりスクリーンが大きくなった、スクリーンとの距離が近くなった、ということで、画面の細かいところを観る感じになっていた。

と、なった時に僕がどこを観ていたのか、というと。瞳だ。と、いうよりも「瞳の中」だ。

塔子がノートを観ている時の瞳の中だったり、最後の沖田の瞳の中に映る塔子など、全の瞳に映る焚火だったり。瞳の中って、キレイなんだな。と、ずっと瞳を観ていた気がした。

瞳の中にも、『サクリファイス』という物語が詰まっていて、とても面白かった。今日観た『サクリファイス』は、『瞳の中のサクリファイス』という別の物語だったようだ。

以下、ネタバレが入るので数行改行。









この作品には、サンスクリット語になぞった名前が登場する。その中に出てくる言葉が、「アーカーシャ」「アプ」「イーシャ」「ホーマ」「アムリタ」だ。今回、ようやくその意味を調べてみた。

アーカーシャ・・・空、空間
アプ・・・水(「聖なる水」のような意味で、日常の水ではないもの)
イーシャ・・・統治者(全世界、全宇宙を統治)
ホーマ・・・焚焼、祀火
アムリタ・・・不死、時間の範囲でないもの、それによって死が無くなるもの

これをみて、だからアーカーシャは最後、あの場所に現れることが出来たんだな、とか。だからこそ猫を助けるということを「しなければならなかったのか」というのが、なんとなくわかった。イーシャも、ホーマも、アムリタも、なるほどな、と思った。アムリタに関しては、凄い適格、というかまさに名前にふさわしいな、と名前を調べてみてなお思った。しかし少し疑問に思ったのがアプ。アプは水ということだが、力自体は予知能力だ。予知と水。ここに関係するものは。と思った時に浮かんだのが、「水の流れ」。水の流れというものは、その場だけでなく、先も読んでいる。流れというのはその前も後もすべてを見通しているのでは、という意味で、と勝手に解釈をしてみた。

こうしてみると、もっと色々と調べてみたいなあ、と思った。色々な見方がもっとできる作品だな、と観る度に思うので、また次。早く観たいな。

※トークイベントに関してはまた別途感想&書き起こしします。写真もその時に。

ジャンル:映画
作品名:『サクリファイス』
監督・脚本:壷井濯
出演:青木柚 半田美樹 五味未知子 藤田晃輔 櫻井保幸 矢﨑初音 下村花 三坂知絵子 草野康太 三浦貴大 他
公式サイト:https://sacrifice-film.com/
場所:アップリンク吉祥寺
鑑賞日:2020/03/15(日) 20:20-
物語
かつて新興宗教団体〈汐の会〉で東日本大震災を予知した少女・翠は、今は陸上部に所属する女子大生としての日々を過ごしていた。
同じ頃、大学周辺では三つの事件が起こっていた。神崎ソラという孤独な学生の死。三一一匹殺されるまで終わらないとされる猫殺し。若者を戦争へ駆り立てる団体〈しんわ〉の暗躍。
平凡な毎日を忌み嫌う塔子は、同じ学部に通う愛想の良い青年・沖田が猫殺しの犯人ではないかと睨み行動を共にしていた。やがて彼が、キャンパス内で神崎ソラと接触を持っていた唯一の人物であることを知り、猫殺しだけでなくソラの殺害にも関与しているのではと疑い始めるが……。
東日本大震災から九年、「死の物語」の中を若者たちが疾走する。

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