「空間」とはなんぞや。
2020鑑賞感想045 サクリファイス
1週間ぶり。前回の続き、というわけではないけども。少し影響を受けて観てた。
急に行ったのでメモ帳とかはなし。でも観れて良かった。やっぱりこの作品好きだなあ。ちゃんとどんな好きかが未だに言えないのがもどかしいけど。
他の方の『サクリファイス』の感想noteとかブログの感想を観て、自分て読み取り能力とか理解力とか弱いなあとか文章力弱いなあとか思ってたりしてます。文章もっと上手くなりたいですね、はい。
早々ネタバレありなので、数行空けます。何度か観ての感想はネタバレ全開になっちゃいますね、すみません…。
先週のトークイベントであった沖田の首筋にある涙の跡。ようやく確認できました(おっそ
でも思えばこの跡SKIPの時に気付いてたや、という笑
あの涙の跡の意味を知ったあとの「甘えんな」はまた別に来るものがあった。
先週話題に出したサンスクリット語を知った上で今回観たのだけども、力を持っている4人の内、ソラだけがその力が少し謎、というか分かっていない部分が多いのかな、と思っていて。
アプ(翠)は予知能力
イーシャ(基)はもはや存在そのものが能力であって
ホーマ(全)は炎のある場所へ人の魂または意識、存在を移動できる
アーカーシャ(ソラ)は、人に一方的に思いを伝える事?
全の力も実を言うと謎が残っているところもあるが、今回僕はソラの力が、なんとなくだが分かったような気がした。
今日は前後左右ほぼ真ん中で観ていて、画面がちょうどいい目線にあった。それを観ていて、終盤ソラが出てきた瞬間。「あ、僕、今までソラだったんだ」と思った。
先週アーカーシャの意味を調べた時に、「空」という意味以外に「空間」というものがあった。その「空間」とはなんぞや。基の「物語の創造者」に近いものではないか。一方的に語り掛けることが出来る、ということは一方的に観ることもできるのではないか。だったら、この今僕が観ているこの画面こそがソラの目線、ソラが観ているものではないのではないか。そう思ったのだ。だから、僕自身がソラであった。それが分かった、それを感じたと同時に、この物語の主人公がソラになっていたのだった。
ただの考察厨の戯言だと思っていただければいい。でも、僕はそう思った。
終わったあとのトークイベント。さらに終わってからの壷井さんとの会話。じっくり噛み締めさせていただきました。今日は壷井さんと色々お話出来て良かったですし、とても楽しかったです。またお話したいです。ずっと話してたいです笑 ありがとうございました。
ちなみにサンスクリット語で参考にさせていただいたページは以下です。
http://sanskrit-vocabulary.blogspot.com/2015/03/ichiran.html
ジャンル:映画
作品名:『サクリファイス』
監督・脚本:壷井濯
出演:青木柚 半田美樹 五味未知子 藤田晃輔 櫻井保幸 矢﨑初音 下村花 三坂知絵子 草野康太 三浦貴大 他
公式サイト:https://sacrifice-film.com/
場所:アップリンク吉祥寺
鑑賞日:2020/03/23(日) 20:30-
物語
かつて新興宗教団体〈汐の会〉で東日本大震災を予知した少女・翠は、今は陸上部に所属する女子大生としての日々を過ごしていた。
同じ頃、大学周辺では三つの事件が起こっていた。神崎ソラという孤独な学生の死。三一一匹殺されるまで終わらないとされる猫殺し。若者を戦争へ駆り立てる団体〈しんわ〉の暗躍。
平凡な毎日を忌み嫌う塔子は、同じ学部に通う愛想の良い青年・沖田が猫殺しの犯人ではないかと睨み行動を共にしていた。やがて彼が、キャンパス内で神崎ソラと接触を持っていた唯一の人物であることを知り、猫殺しだけでなくソラの殺害にも関与しているのではと疑い始めるが……。
東日本大震災から九年、「死の物語」の中を若者たちが疾走する。