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交通違反のスピリチュアルな意味

今日、運転中に一時停止をしそこなって交通違反の切符を切られた。

一時停止で警察に止められたのは数年前と今回で2回目だ。

ツイてないなあ、と思った。

わたしは意外とスピリチュアルや潜在意識の仕組みなどを考えることが好きなので、起きることはぜんぶ必然だと思っているタイプだ。

ふだんあまり起こらないことが起こる時は、なんでそれが起きたんだろう?とか考えてしまう。

まあ、解釈とか意味づけは人間が勝手にしているもので、起きる現象そのものに意味はないというのが通説だけど、意味があるとしたら、とかそういうことを気休めに考えるのが楽しいのだ。

ものはなんでも捉えようなので、同じ出来事なら楽しい方に考えられる方がいい。

でかいため息と悪態をつきたくなる気持ちをどうにかするために、交通違反をしたことになにか意味があるとしたら、なんなんだろう?と思って調べてみた。



大難が小難になった


スピード違反にしろ一時停止にしろ、「止められた」ことに意味がある。

そこで止めてくれなかったらもっと大きな事故などの最悪な結果になっていただろう状況を、「この程度で済んで良かった」と思えるように起きている。

エネルギーが下がっていて、良くないことを引き寄せそうな時に軽い方法で止めてくれる。



え。これ、すごくない?


予想のななめ上をいく深い意味だった。


日本人は昔から、「この程度で済んでよかった」「もっと大きな事故にならなくて、誰のことも傷つけずに、自分もケガがなかったからよかった」と、小さく済んだ災難を感謝に変える考え方ができたというのだ。



そんなふうに思えるん?先人、ポジティブすぎる。



自分を見直す時


なにかを守れなくなっていたり、ルールやマナーをないがしろにしていたり、「今の状態、あまりよくないよ」と教えてくれている。

お金の使い方や生活を見直す意味。



思い当たる節がありますよ。

なんかたるんでるもんな、自分。



札幌旅行で夜一人飲みしてたときに、iPhoneのメモ帳アプリに


「最近なにやってもぜんぜん楽しくない」


って書いていて、あとで見つけて自分の中に闇を見た。(酔っているのであんまり覚えていない)


北海道限定の塩水ウニが一皿2000円もして、わけのわからないお金の使い方もしていたところだし。


最近何をやっても気分が晴れないいまいちな自分に、なんか良くないよーと言われているのは、でしょうね、と思った。





noteを毎日書いてみよう、と思ったのは、そういうモヤモヤをなにか変えたいと無意識に思っていたからかもしれない。

特にテーマを決めずに

その日あったこととか考えたことを、ネタがなくなるまで書き続けてみようかと思ったのは数日前。

なんのために書くのかはわからないけど、やり続けたら見える何かもあるかもしれないと思ったからだ。



ビジネスを始めるときは、北海道へ行きたい時に「だいたい北に行けば着くでしょ」みたいなかんじで、目的地が大きくズレないところに向けてとりあえず出発すればいいんだよ、とわたしの大好きな起業家の椎原崇さんが言っていた。




とりあえず北海道行きたいから北行くわ、みたいなかんじで、目的地はわからないけど文章書くの好きだから毎日note書いてみようか、と思ったのだ。


どうせ考えても考えなくても、わたしはきっと思いついたことをnoteに書くんだろうから、ネタが尽きるまで毎日続けたらどうなるのか試すのもおもしろいし、書く理由をいちいち考えなくても「書きたいから書く」でいいか、と思った。


目的地を決めずになにかをするのは、道順が決まらないと何もしなかった会社員的な、堅実で常識人的な完璧主義のわたしとはまったく真逆の方法だ。


一から十まで結末がわかっていて、一直線に力技で目的地を目指す方法は、安心できるし慣れているけど、たぶん今までずっとしてきて飽きているのかもしれない。



「それがいったいなんになるのよ?」という問いは、きっと何百回も頭に浮かぶのかもしれないけど、今までやってきたことをこれからも続けるだけじゃおもしろくないので、とりあえず北行くか、みたいな感じで続けてみようと思う。



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