書き換えしたら起きたこと
この記事を書く前と書いたあとで、こんなに180度心境が変わるもんなんだなーと、不思議な気持ちになったので記録として書いておこうと思った。
もしかしたらこれが「視座が上がる」「気づきが起きる」ということなのかもしれないな、と。
つながっているので、こちらを読んでからお進みください↓
わたしは昨年からずっと悩んでいたことがあって、それが会社員を辞めて独立することだった。
もともと集団に属するのも、画一的なシステムもルーティンワークも嫌いだし、転職回数も多いので自分はずっと会社員に向いていないと思っていた。
副業はずっと興味があったので、ブログ、アフィリエイト、コンテンツ販売、クラウドワークス、Kindle出版、ココナラなど調べて思いつくものは片っ端からやってみた。
ところが何をやってもなんっにも楽しくないし、おもしろいくらい上手くいかないのである。
上手くいかなすぎて焦りが増すばかりで、あげくに不安をあおるだけの副業詐欺に釣られて騙される始末。(ざっとぜんぶで100万弱、無駄なものにお金を投じたり損をした)
そして数か月で、わたしは自分がお金を稼ぐこと自体にモチベーションを感じられない人種だと気づいた。
内容はなんであれ、副業をはじめてわりと成果がすぐ出やすい人とわたしのように出にくい人の差は、たんにお金を稼ぐこと自体をモチベーションにできるかどうかの違いなように感じられた。
結果を出すために今の瞬間を我慢してでも、なにかを継続し続けることができる人たち。
よけいな感情は抜きにして、ただ「目標:お金を稼ぐこと」に向かって計画を立てて、もくもくと、淡々と行動を続けられる、どちらかというと男性性が強い人に多いと思う。
彼らは口癖のように「ただやればいいだけ」「ただ続ければいいだけ」と言っていたが、
わたしはこれが圧倒的に向いていなかった。
なんで?なんのために?だれのために?やりがいはあるのか?やりたいことなのか?やる意義は?理由は?みたいなことをものすんごく考えてしまって、理屈だけではまったく動けないのだ。
(どうやらHSPには多いらしい。)
お金のためだろうがなんだろうが、やりたくないことは1秒もやりたくないし、自分の心をごまかすことができないので、遠回りすぎるけど時間はかかってもやりたいと思えることを見つけるしかないんだ、とあきらめた。
お金へのモチベーション < 好き・やりがい
が動かしようがなかったのだ。
やりたくもないことをやってお金も失い、心底イヤになって、たとえ意味がなかったとしても何にもつながらなかったとしても、もうやりたいこと以外絶対にやらん、とこのnoteもはじめた経緯がある。
反面、すぐになにかの結果につなげることをあきらめた以上、会社もすぐに辞められないため、本業がたんなるお金を稼ぐための作業と化していて、やる気が皆無に近かった。
もともと自由な会社なのに、ちょっとした拘束もイヤになったり、管理されることに敏感になったりしていたし、決して手を抜いていたわけではないけど、心ここに在らず感がすごかった。
わたしがやるべきことは、この仕事じゃないんだよ、もっと違うステージに行くべきなんだ、とかそんなふうに思っていた。
今思うとなにを思い上がっていたんだろうと思うし、傲慢さや周りの見えていなさがはなはだしいと思う。
そんなこんなで「やりたいこともやるべきことも中途半端で何もできてない、何者にもなれない無能な自分」みたいな最低なセルフイメージをかかえたまま、モヤモヤした日々が無駄にすぎていた。
そんな中、セルフラブ習慣をはじめて、自分の中ではラスボス級かと思われたものすごく根深くてでかい思い込みを外した時、不思議なことが起きたのだ。
「わたしには誰も守れない」→「わたしは誰かを守れる」
にセルフイメージを変えてから急に
自分の中のいろんなことが、
「ない」→「ある」
「できない」→「できる」
に変わったのだ。
守れない → 守れる
助けられない → 助けられる
今の仕事ではもうできることがない
→ この会社で今の自分のままで
できることがある
と、仕事への意識も180度変わってしまったのである。
「あれ?別にこれから何かの知識を必死に学んだりしなくたって、今この場所のままで、今のわたしでできることがたくさんある。ずっとやってきた仕事なんだから経験と知識が積み重なってるし、それをちゃんと使えば救える人がたくさんいる。助けられる。副業にばっかり意識がいっていて、目の前で今関わっている人のことをまったく見ていなかったし、できるのに何もしてこなかった。全力でやらないで出し惜しみしてた。今ある知識をまず目の前の人のために出し切ることが今自分に必要なことだ。」
と急に思ったのである。
わたしがいつも生き方の参考にしている、すごく成果を出している経営者の方のメルマガに
「今ある環境に感謝しなかったり、目の前の仕事をバカにしたり、目の前の人すら笑顔にできない人が、何をやったって誰の力にもなれるわけがない。まず目の前の人のために全力を出せる人が、もっとたくさんの人の力になれるんだ。」
と書いてあったことを、その時同時に思い出して
「ああなんか少しも、目の前の人のために全力を尽くそうなんて思ってなかった。会社だってこんなに自由に働かせてくれてるのに、うとましくしか思ってなかった。ほんと未熟だ。」と思った。
初心に戻ってまずは、これだけの自由な環境を与えてくれている会社に恩返しする設定で働こう。
目の前の人に全力で喜んでもらうような仕事をしよう。
と思った。
「今のままでできることがまだたくさんある」そう思ったとたん、ずーーーっとどっちつかずでモヤモヤした感情がなくなって、腹が座った感じがしたのだ。
思えば、今すでにある仕事や知識に目を向けることができずに、何者にもなれてない自分、無能な自分ばかりに意識が行ってしまっていたのは
潜在意識のものすごーーく深いところにない、ない、ない、ないという思い込みがあったせいなのだ。
自分にはなにもない
できない
助けられない
守れない
たいした存在じゃない
知識もなにもないから副業もうまくいかない
→ 無能だ
この「ない」という意識は根底ではぜんぶつながっていて、いろんな場面で無能感、無価値感を感じるようになっていたのだ。
だから「ない」を「ある」に変えただけで、「なんだ、ないもの探しをしなくても、別にもう持ってるじゃん」と、「今あるもの」に目を向けることができて、急にぜんぶひっくり返ってしまったのだ。
それは正直衝撃だった。
あんなに仕事、やりたくなかったのに。
え?そんな変わる?考え方。
もっとおもしろいのは、状況がなにひとつ変わっていないことだ。
べつに本業以外にやりたいことが見つかったわけでも、収入が入ったわけでも、年収が上がったわけでもない。
なのになんかこう、「こっちの方向性で大丈夫だわー」みたいな腹が座ってすっきりした感じになっているのだ。
結果なんかわからないけど、「目の前の人のために全力でがんばること」と「会社に恩返しすること」が今わたしがやるべきことであるのだけははっきりしているので、そのあとの結果なんて今はわからないし考えてもいない。
でも、それを続けていった時にちがう景色が見えるのだ。きっとそう。
長いけど記録用ということで。
セルフラブ、ほんとすごい。
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