わたし的昭和の暮らし
思いついた事の備忘録に
子どもの頃と今徹底的に違うと感じるのは
『ゆとり』
時間、お金、心のゆとり自分が育った頃と比べると
なんだか違和感が‥
我が家は田舎の街の美容院だったが
夕方には美容院に多くのママやホステスさんがのんびり髪を結いに来てくれていた‥それも一人や2人じゃない数人が毎日
ということは、クラブやスナックで楽しむ人がそれだけいたという事
コンビニやスーパーはなかったけど美味しい『おかず屋さん』がたくさんあった。そして、そのおかずを買う事は贅沢だなどという人はおらず当たり前に食卓に登ったし美味しかった❤️
野菜を買って‥お刺身はここ、今日は鶏肉がいるからここ‥お酒は、電池は‥と毎日のように大人は時間をかけて何軒も回って買い物に行っていたし子どももお使いもした。
売ってある状態を当たり前に受け入れた、適正価格だったのだろう『少しでも安いものを‥』という言葉はなかったように思う
料理する時間もたっぷり取られていたようにも思う
贅沢では無いけれど下ごしらえに手間のかかる煮物や料理が普通に食卓にあった
残業とかってあんまり聞いたことなくて
仕事が終わって7時とか早朝とか父、母は仲間とソフトボールや野球を楽しめるぐらいだった。
商売屋さんが多かったから?いや、サラリーマンの方も夏はまだ明るいうちに帰ってこられたと思う
時間があると喫茶店でおしゃべりしながらコーヒーを飲んでたし、若いお兄さんも一人でもよく喫茶店で漫画を読んでいた。多分みんな行きつけの喫茶店があったのだと思う。まるで今やっと時間を作ってカフェでお茶‥っていうのが不思議なぐらい日常だった。
未満児保育なんてなかったけど普通に知り合いのおばさんとかが子どもを預かってくれていた‥わたしもその一人‥(何人もの方のおかげで育つことができたし両親も働くことができました🙏)
保育園も(わたしの後からは変わったが)自分で近所の子どもと行って帰りも自分でみんなと帰っていた
おばぁちゃんは遠くてもテクテク少しの畑仕事に出かけたり、お裾分けの料理を持ってテクテク私たちの家まで運んでくれた
かと言って大人たちは怠けているわけでも
無くて、それぞれがそれぞれの仕事や役割をちゃんと果たしていたのだと思う。
時間がない、お金が無い‥とは見ていてそんなに感じられなかった‥
いつから お金が無くなるのが怖くて 時間にゆとりを持つのに罪悪感を感じるようになったのか?
何がそんなに忙しくなって
何にそんなにお金が必要になるなったのか?
考えれば考えるほど不思議でならない
だって世の中はどんどん豊かになって
そこに暮らす人もどんどん幸せになっていこうとしているはずだと思っていたから‥
何が違うのか?
ほんとうはどんな未来を求めてきたのか?
ちょっとぼんやり考えてみたくなった
怪奇現象について‥😱
歴史ある美しい町並みと自然溢れる飛騨高山から発信ここちよいまいにちの暮らしをお届けします。