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過ぎ去った、いくつものクリスマスにカンパイ

アメリカ人の友人、サラとの2週間の日本旅行の様子を書いています。



サラはもともとマナーを重んじる人だ。

だから、今回、東京観光の案内を引き受けてくれた友人が、神社でのマナー、寿司屋でのマナー、その他もろもろ、私も知らないことを、うんちくも交えて教えてくれたことに、サラは丁寧に耳を傾けていた。


さて、京都の旅館での朝ごはん。
私もサラも、ふだんは朝食は食べないたちだけど、旅館の朝ごはんだけは外せない。
「食は文化」、だものね。
お味噌汁、湯豆腐、卵焼き、鮭や、小鉢、お漬物に果物のデザート。

見た目も美しくて、栄養たっぷり。
バラエティに富んだこんな朝ごはん、世界に誇れるわ、と 食事を目の前にして、私はしみじみ思う。

しかも、昨日の夕食と同じくお部屋出しの食事で、若い女性がテキパキと用意してくれた。
サラは、テーブルいっぱいに広げられた朝食にびっくりするも、英語で書かれたお品書きを参考に、ゆっくりとすべてを味わっていた。

食事も終わりかけた頃、サラのごはん茶碗に、つぶつぶと、ご飯が散りばめられているのを見つけた私は、言った。
「サラ、日本ではごはん粒も残さずに、きれいに食べるものなんだよ!」

彼女はなるほど、という顔をして、小さなフォークで一粒、一粒、ごはんをすくい続けた。

まるで瞑想だ。

私は彼女がたまに創り出す、そうした「間」がとても好きだ。
静けさの空間が、いつの間にか現れている。
桜の花を見上げたとき、
富士山を見たとき、
神社の鳥居をくぐる前、
食事を静かに味わっている時にも、
その「間」が突然やってくると、私もそこに一緒にいる。

全てが完璧で、これ以上何も付け加えることもなく、差し引くこともなく、ただそこにいればいい、そんな平和で、穏やかな、瞬間。


ご飯粒を平らげた後、思案の末に、といった面持ちで、サラが聞く。

「ねえ、もしここにあなたがいなかったら、私、お茶碗をごはん粒だらけにして終えるところだったわ。もし、そうだったらどうするの?食事を下げに来てくれた人はそれを見て、私はなんて失礼で、馬鹿なアメリカ人だって思うかしら?」

それを聞いて、私はサラの深刻ぶりに大笑いした。

「サラ、そんなこと、誰も思わないわよ。
たいていはそこに、異国の文化の違いを見るだけだからね、何も問題ないのよ。
私だって、これまでどれだけアメリカでマナー違反を起こしてきたことか。」

大阪城からの景色


そういえば、サラはアメリカで一緒にご飯を食べに行っても、店のサービスにとても敏感だったな。
どんなに料理が美味しくても、対応が悪ければ再び行くことはなかったっけ。

旅も後半に差しかかった大阪では、なぜか彼女を苛立たせることが続いた。
人混みの中を歩いている時、後ろからの自転車が、彼女にぶつかりそうになったり、それどころか、前方から自転車が突進してきたこともあった。
エレベーターから降りようとすれば、外で待っている人が、先に乗り込んで来た。

東京、京都、広島と和やかに来たこれまでとは、体験が違った。
それで当然の反応として、彼女は怒った。

「何て、失礼な人ばっかり、この町!」


それでも私たちは予定通り、大阪で美味しいものをたくさん食べた。

道頓堀界隈で、たこ焼きや(塩をかけたたこ焼きを私は初めて食べた。ソースより美味しい!?)大阪風のお好み焼き、そして、かに道楽でランチ。

実はカニは、私たちには外せない。
サラが5年前、ノースカロライナに引っ越すまでは、クリスマスには、地元で採れるカニを買ってきて、スパークリング・ワインで乾杯するのが私たちの恒例だったのだから。

5年分のクリスマスのカンパイ。

「メリークリスマス!」

サラの笑顔が、春の陽ざしを窓から受けて光っている。

観光客で溢れる戎橋を 下に眺めながら、私は思う。

どんなことがあったって、美味しいものを目の前にしてカンパイすれば、何もかもが、ご破算になるな~って。


人生、って本当はそれくらいシンプルでいいのかもしれない。






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